猪瀬直樹知事が辞任を表明した。
ことの経緯は、医療法人『徳洲会』グループの徳田虎雄前理事長から受け取った5千万円が、公職選挙法違反に触れるかどうか物議を醸したのだ。

猪瀬直樹知事は、それらの疑惑に対して「個人的に借用した(公職選挙法違反に底触しない)」と答弁。また、借りた金は手を付けずに返金したと加えた。

だが、経緯や言い訳が二転三転。虚偽を繰り返していたことが明らかになった。そして12月19日10時30分に記者会見が開かれ、辞意を表明することとなったのだ。


私もネットのニュースでしか情報を知り得ていないが、猪瀬直樹知事の問答は失笑ものだった。まるで「今さっき作ってきましたよ」と言わんばかりの簡易な借用書。郵送されて来たはずの借用書には折り目がなく、5千万を運んだと言う鞄には5千万が入らずと、まるでコントのようだった。いや、最近の芸人よりは、よほど芸のあるコントであった。
さずがにここまでくると、今までの答弁がすべて嘘に聞こえてくる。
猪瀬直樹知事の辞任に、至極当然だと納得する人も多いだろう。



❙辞任(首を切れば)納得する国民

私には分からない。なぜ、猪瀬直樹知事が辞任しなければならないのか。
確かに、疑惑はある。いや、仮に公職選挙法違反に底触していたとしよう。で、それがなぜ、辞任に繋がるのか。

もし、東京都に対して何の益をもたらしていない都知事ならこれを機に辞めてもらうのもいいだろ。しかし仮にも、東京オリンピックの誘致に成功した功績のある都知事だ。たかだか5千万のお金が、その功績を帳消しにするようなものなのだろうか。

私自身、東京オリンピックンに興味はないが、国民の多くは誘致に喜んだはずだ。
公職選挙法違反をしていれば、ルール(法律上)禁止されているため、辞任は止むを得ないのは分かる。この理屈は分かるのだが、その理屈自体に対して私は懐疑的である。

誤ったプロセスで当選して、功績を残す人。
正しいプロセスで当選して、功績を残さない人。
国民はどちらが良いのだろう。
日本国民は、結果よりもプロセスを重視する国民なのだと常々思う。

そもそも選挙は、有能な人を選ぶためにしているのか。 それとも、自分たちが納得するためにしているのか。
有能な人を選ぶためにしているのであれば、猪瀬直樹知事を辞任させる必要がない。オリンピック誘致という功績を挙げたのだから。

それに、何か問題がある度「辞任」を出すのもどうかと思う。
日本人は、辞めるか辞めないかの二者択一が本当に好きの様だ。その中間はないのかといつも思う。そんな国民性のお陰で、日本の首相はよく入れ替わる。

コロコロと変わる首相や今回の辞任を見ていると、日本国民は能力よりも納得感を選んでいるのだなと思わずにはいられない。

猪瀬直樹知事に足りないものがあったとすれば、騙し抜く力だ。
政治家が嘘をつくのは、誰もが知っている。だが、嘘を言うからには、あばかれてはいけない。最後まで嘘を真実だと思わせ続ける必要がある。そういう意味では、猪瀬直樹知事は政治家としてはアマチュアだったかも知れない。
嘘も方便。良い方向に持って行くためには必要なときもある。政治家ならなおさらだ。私ならむしろ、嘘もつけない政治家に、政治なんてしてほしくない。とにかく、結果さえ出してくれればいい。

日本国民が、結果よりもプロセス(手段)を重んじているうちは、日本の政治は良くならないだろう。本当に能力のある人間は、嘘をつき結果を残す人なのだから。