昨日の8月6日は、広島に原爆が投下された日だった。
今日は原爆投下について意見を述べてみたい。

私は5年前に長野県から広島県に移り住んだ。広島の原爆に対する感情や原爆反対の空気には、広島に住んでいない人よりは触れているだろう。

この日、必ず話題になるのは、原爆投下は正しかったのか間違っていたのかだ。
ここから先は私の持論だが、正直、今住んでいる広島では声を大きくして言えない内容である。



❙原爆投下は、間違っていたが・・・

原爆投下は、悪だ。
原爆に限らず、戦争自体は悪である。
では、アメリカがした原爆投下は悪以外の何ものでもないのかと言われれば、そうとは言えない。原爆投下の責任は日本にもあるからだ。

一応歴史上では、戦争を仕掛けたのは日本であり、最後の最後まで粘ったのも日本だ。戦争のきっかけを作り、戦争を長引かせたのも国家の〝意思”によるもの。それが結果的に原爆投下を招いた。
もし日本がもっと早く降参していたら、原爆投下という最悪の事態にはならなかっただろう。責任の一端は日本国家、ひいてはリーダーたちの決断力のなさがもたらした最悪の結果だと私は思っている。

広島・長崎の被爆者がよく口にする、「アメリカに謝ってほしい」という気持ちは理解できるし、一個人としてはまっとうな意見だと思う。だか、国家レベルの理屈から言ったら難しい話だろう。
正直、私がアメリカの立場でも謝らない。稚拙な表現だが、「先に喧嘩吹っかけて、長く粘着したら、酷い返り討ちにあったから謝れ」と言っているようなものだ。

以下の動画は、日本とアメリカの認識の違いをよく表している。
『原爆を開発・投下した男、ハロルド・アグニュー博士が広島に来た時の動画』


$広島市で活躍するコンサルタントの日記


❙核兵器のない世界

世界唯一の被爆国として広島・長崎を中心に核兵器への反対を行ってきた。そして、日本は今まで核兵器を保有してこなかった。アメリカとの安全保障条約があるからできた話でもある。アメリカの核の傘に守られながら、核兵器反対をしている。矛盾と言えば矛盾である。
私自身も、核兵器なんて地球上からなくなってほしい。理想を言えば、皆そうだろう。

だが、現実はそうではない。
人間という生き物は、武器を持ち、侵略してきた。人類の歴史で戦争が途絶えたことはない。そして人類は、戦争に勝つために武器を常に開発と改良を行い、兵器にまで発展させた。

核兵器に限らず、人類はこれからも、効率的に人を殺す兵器を開発し続けるだろう。この世から核兵器がなくなる日が来るとすれば、核兵器よりも効率的で効果的な兵器が開発された時だ。
核兵器がなくなる日、それは、核兵器がある時代よりも、危険な時代なのだろう。

現実問題、おそらく兵器はなくならない。もし、人類ができるとしたら、兵器を持ったまま、戦争をしないことぐらいだろう。


理想を言えば、地球上に全ての兵器がなくなることが究極の平和だと私は思う。



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