以前ブログで、好きと才能について書いた。
今回はその補足的な内容だ。
参考:「好き=才能」ではない。


「好きは才能」と言うと聞こえはいい。しかしそれはまやかしである。才能とは、持って生まれた他の人よりも優れた素質。もし、好きを才能とするならば、他の人以上に好きでないといけない。

たとえばギター演奏が好きだとする。
「1日何時間練習しているの?」と訊ねると、大方の人は30分~2時間と答える。まったくもって論外。1日30分~2時間なんていう時間は、好きな人であれば誰でもしているレベル。そうではなく、好きな人達の中でも飛びぬけて好きでなければ〝才能“とは言えないのだ。
ギターが好きな人達が1日平均2時間練習しているのなら、4時間練習しているぐらいでなければならない。4時間でも甘いぐらいだ。どんな世界のプロも、1日6時間以上練習や何らかの形でそれに関わっている。

「好きは才能」と言う人は、なぜかみんなそれが好きでない人(ゼロ時間)の人と比べたがる。好きな者同士と比べないと意味がない。好きな者同士の中でもズバ抜けてそれが好きで、時間もお金も惜しまず投資して、はじめて、好きという気持ちが才能と言える代物になるのだ。

私の知っている物書きは、1日12時間も何かを書いている。そこまでいって才能と言えるだろう。
それがちょっと好きなだけで、1日数十分しかしていないことを才能なんて言っているようでは、井の中の蛙である。

今まで私は「好きは才能ではない」と、主張してきた。
その理由の一つが今回書いた通り、『好きは才能』と言えるほどの代物になるには、皆が思っているほど安易ではない。
共通の何かを「好き」と言う人達よりも『好き』になり、のめり込んではじめて「好きは才能」と言える。ただ『好き』という気持ちがあるだけでは、才能とは言えないのだ。