先日、偉そうに映画評論してきたので、この際、私と映画について書いてみる。独り言のようにブツブツと書き連ねるから長文だよ。(しかも、鼻につく話かもしれない。笑)

今日、久しぶりに弟と長電話した。
どうでもいい雑談から始まり、弟に「映画、どれぐらいのペースで観てる?」と訊いたら、一週間に映画DVDを5本は欠かさず借りて観ているとの返事。私の弟は、映画が大好き。大好きっていう自覚は無いんだけどね。映画を観るのが習慣化しているから。

実は私たち兄弟は、小学生の頃、週5本は当たり前のように映画を観ていた。で、弟はそれを今でも継続している。私は1997年あたりから徐々に映画を観なくなった。その理由を話し出すと、日本の映画業界をボロクソに酷評することになるので、控えておくw。

金、土、日の21時から始まる映画は欠かさず観ていたし、何が一番楽しみだったかと言うと、映画が終わってからの解説。金曜日は水野さん、日曜日は淀川さんだった。この二人、映画の解説(見方)が微妙に違うんだよね。私の記憶だと、水野さんは抽象的な解説だったかな。淀川さんは具体的な解説だった。私は淀川さんの解説が好きで、「へぇー、映画ってそんな風に観るんだ」って思いながら、よく聞いてたなぁ。とても勉強になったし、刺激的だった。気がついたら、映画を欠かさず見るようになっていた。多分、映画ってこれぐらいのノリが丁度いいのかもしれない。

映画評論的な話になるけど、漫画やアニメは名言とかがよく取り上げられる。映画の場合って、言葉にフォーカスしないんだよね。「あの言い方がいい」「あのセリフを言う時の表情がいい」「言いだすタイミングが絶妙」とかなんだよね。もっと言えば、言いだす前のしぐさやセリフを言う場所まで見る。するとね、言葉の真意っていうか、本当の気持ちが見え隠れして、セリフの意味や深度が変わってくる。映画って表情やしぐさ、景色、タイミング、言い方とかで表現する(読ませる)ものだから、言葉の数は必然的に減るんだよね。ドラマみたいにベラベラしゃべらない。ベラベラしゃべる映画を観ていると、「あれ、これ、ドラマを映画館で放映しているの?」って思っちゃう(おっと酷評だったw)。
言葉が評価されちゃう、言葉が前に出ちゃう映画って読み物としてはあまり面白くない。それが駄目ってわけじゃないけど。

映画の話からは脱線するんだけど、私はゲームソフト『天地創造』を崇敬している。ま~、これが凄いソフトなんだ。下手な映画を100本観るよりいい。
スーパーファミコンだったから、映像が綺麗なわけではないし、キャラクターに個性があるわけでもない。当然、表情や仕草は分からないし、名言があるわけでもない。

だけど、これでもかってぐらい読ませるんだよね。凄い読み物だった。物語性だけでプレイヤーにこれだけ読ませて、感動させられるだって衝撃を受けた。このレベルを知っちゃうと、ハードルがグッと上がっちゃうんだよ。(ほかにも、読ませてくれるゲームはたくさんあったし)

限られた制約の中で、『天地創造』という名作が生まれた。
それに比べて映画は、自由度が高く、テクノロジーを駆使して、一流の俳優や作曲家を使って作っている。だから、『天地創造』を超えるものは簡単にできるだろって思っちゃう。おっと、また酷評し始めるところだった。
(もしかしたら逆で、便利になり過ぎたことで読ませることが難しくなったのかもね)


言いたかったのは、映画の見方は、淀川さんとゲームから教わったよなぁ~ってこと。私の映画観に大きく影響している。

とまぁ、こんなところで独り言は終わりにしておこう。
最後まで読んでくれた人、ありがとう。