以前から嫌悪感を覚えていた言葉がある。それは「人から感謝されたい」という言葉だ。
この言葉を聞くたびに、気持ち悪い、虫唾が走る、という感覚を覚えていた。なぜそのような感覚を覚えるのか、最近ようやく分かった。

 

話は少し脱線するが、ビートたけしの著書「下世話の作法」を読んだ。
そこには「品」「粋」「作法」について書かれていた。
その一文を少し紹介したい。

 

・・・・・以下引用・・・・・


今、東日本大震災の被災者支援ということで、ボランティアとかチャリティとか、そこいらでやっているでしょ。~省略~
「私は○億円寄付しました!」なんて、声高に叫ぶ金持ちの有名人がいっぱい出てきたけど、まるでそいつの売名がメインみたいで、被災者への思いなんてちっとも感じられない。
他人に善意を施すという行為は、本来、人知れずそーっとやるべきであって、「寄付しました」と声に出すのは、金持ちというか日本人の作法からはずれているんだ。~省略~


 

それで思い出すのが俺の師匠、深見のおとっちゃんこと深見千三郎のこと。~省略~
師匠と浅草のすし屋に行って、お勘定の段になったら師匠が俺に財布を渡す。渡しながら小声で「チップ一人一万円ずつな」と言って、自分だけ先に店を出る。俺がすし屋の板さんとか若い衆に「これ、師匠からです」ってチップを出した時には、もう師匠の姿が見えない。だから、もらったほうは「ありがとうごいます」ってお礼をしようにもできなくなっているわけ。~省略~
気遣いの押し売りをしないから粋なんだ。よく言われたもん。「相手にお礼を言わせるなよ、悪いだろう」って。


・・・・・引用終わり・・・・・

 

実名を出して申し訳ないが(隠しても分かるので)、ソフトバンク社長の孫正義氏がTwitterで「100億円寄付します」とツイートした時、私は、ものすごく気分を害した。孫さんのことを少し好きだったので、なおさらだった。友人に、「孫さんが、あんな恥ずかしいことを言うとは思わなかった。本当に情けない奴だ」と言ったのを覚えている。

 

寄付するのは大いに結構。素晴らしいことだ。しかしそれを、自ら公言するのは下品な行為だ。もしかしたら孫さんは、自分が恥を忍んで公言することで、他の企業に寄付を助長させる狙いがあったのかもしれない。だとしたら、素晴らしい自己犠牲であり、武士だと思う。私はそうであると願いたい。

 

さて、本題に戻ろう。
もう、お気づきの方もいるだろうが、私がなぜ「人から感謝されたい」という言葉に嫌悪感を覚えるのか。
ビートたけしが言う、「粋」ではないからだ。そして、感謝を求めるのは、恥ずべき行為であり、口に出して言う言葉でもない。

 

「人から感謝されたい」。人から感謝されるような行為はしても、感謝を求めない。それが日本人の失いかけている「粋」なのだと思う。