4日前、私の祖母が亡くなった。

ばあちゃんは、死んだじいちゃんの自慢話をよくしてくれた。
「じいちゃんは立派な人だった」と、何度も聞かされた。じいちゃんの悪口を一度も聞いたことがない。
30年以上前に亡くなったのに、ずっと愛していたんだ。

ばあちゃんは、テレビに向かってよく文句を言う。
特に「渡る世間は鬼ばかり」が大好きで、番組を見ながら「こいつは性格の悪い奴なんだよ」って、言っていた。(私には誰のことが分からんけど)

ばあちゃんは、オシャレで、服や帽子や鞄をいくつも持っていた。
外に出るときは、綺麗な服を着て、お気に入りの帽子をかぶり、ファッションを楽しんでいた。

そんなばあちゃんのことが、私は大好きだった。
ばあちゃんとは、私が長野から広島に引っ越しする5年前まで、一緒に住んでいた。
私と父と母とばあちゃんの4人暮らし。でも、母と仲が悪かった。
ばあちゃんが一方的に母から文句を言われていた。母にひどく怒られた時は、「長生きはするもんじゃないな~」とこぼしていた。
父は仕事でほとんんど家にいないため、私がいつもばあちゃんの味方をして、かばってあげていた。
「貴明は優しいなぁ~」って、涙ぐむ時もあった。

私は、ばあちゃんに珍しい物をたくさん見せてあげたり、珍しい食べ物を食べさせてあげた。
「おらぁ、こんなの見たの初めてだぁ」「おらぁ、こんなもの食べたことねぇ」。そう言われるのが何より嬉しかった。
で、私は決まって「そうだろ。長生きして良かっただろ~」って言う。ばあちゃんも「そうだなぁ。生きてて良かったわ~」って、照れ笑いを浮かべる。

私が結婚して広島に引っ越ししたため、その後は2,3か月に一度しか実家に戻れなくなった。
それから2年ほどで、ばあちゃんは腎臓を悪くして、老人ホームと透析病院が一緒になっている施設に入ることになった。

実家に戻るたびに、ばあちゃんのいる施設へ会いに行った。
ばあちゃんは、「おぉ、貴明だに~。よく来たな~」と言って、喜んでくれた。泣いて喜んでくれた時もあった。寂しかったんだと思う。だから、時間がある時は、日に何度も顔を出した。
顔を出した時は、たわいもない話をして過ごした。元気がない時は、髪を撫でて「元気出せよ~」と励ますと、照れ笑いを浮かべる。
ばあちゃんは同じ施設のお年寄りによく、「おらぁの孫なの。優しい子なんだよ。広島から帰ってくるといつも顔出してくれるんだよ」と私を紹介(自慢)していた。
帰るときは、「また来るね」「あぁ、また来いや」と言って、いつも、見えなくなるまで見送ってくれた。

そんなばあちゃんが、亡くなった。
父からの電話で知らされた。「明日、通夜やるから、早く来いよ。お袋はお前に一番会いたがっていたからな」。
ばあちゃんに最後に会ったのは、1か月程前。別れおしそうに手を振って見送ってくれた。
いつものように「また来るよ」「また来てな」って言って別れたのに。
あれが最後の別れになるなんて思ってもいなかった。

ばあちゃんの遺体は、いつも見せる可愛い寝顔だった。
髪を撫でてあげたけど、何の反応も返ってこない。
そんなばあちゃんを見て思ったのは、悲しみではなく、後悔だった。
「何でもっと、色んな物見せてあげられなかったんだろう。何でもっと、色んなところ連れて行ってあげなかったんだろう。何でもっと、色んな物食べさせてあげられなかったんだろう。出来たはずなのに。もっともっと、出来たはずなのに」。

遺品の中には、私の写真が入っていた。寂しくないようにと、以前に私があげたものだ。いつも持ち歩くポーチの中に入っていた。お花と共に写真を棺の中に入れた。

享年88歳。充分生きたと思う。
向こうでじいちゃんに会えているだろう。ばあちゃんは、じいちゃんのことが大好きだったから、寂しくないはずだ。
私は寂しいけどね。もう、ばあちゃんを驚かせることも、笑わせることも出来ないし。でも、向こうにじいちゃんがいると思うと、ずいぶん心が救われる。

じいちゃんとばあちゃんが生んだ命は、脈々と受け継がれている。子供が4人、孫が8人、ひ孫が10人。(ひ孫はまだ増えると思うけど)。
ばあちゃんのお陰で、こんなに元気の良い子供たちが生まれた。
深井家は、元気過ぎてメチャクチャな奴が多いけどね。
じいちゃんが見れなかった孫やひ孫の話をたくさんしてあげてね。
そして、深井家を見守ってあげてね。
じゃあね、ばあちゃん。また、会う日まで。