過去のわしがなにを思い、なにを書き記したかを思い起こすべく、日記帳を顧みてみれば、わし、六年前に突然、「武将隊黙示録」なる小説?自伝?を書き出しておった。あれ、なに?それに、「岡崎城の全編(本文ママ)」で終わっておるんじゃけど、続きは???………ま、まあ、途中で休載になってそのままな物語なんてようあることじゃな!わしたちの戦いはこれからじゃ!秀吉先生の次回作にご期待ください!!!っちゅうことでサルだぎゃ
皆のもん、いかがしとりゃあすかや?
一年前の祈りも届かず、未だ疫病は蔓延り、不便な生活を強いられておるもんも多かろう。それでもまたこうして今年も、文を交わすことができ、嬉しく思うがね
今年もこの日、この時に黙祷を捧げることができやあした
相変わらず、特別なことはなあんもできておらんが、忘れず、遼遠なる友らの安寧を想い、こうして筆をとっておる次第じゃ
尾張の空は穏やかに晴れ。疫病にも負けず、民たちは逞しく生きておる
十年
区切りのええ数字だがね
人はいろんなことに区切りをつけて生きておる。季節、月日、時間、場所、関係、物事。それは終わるために区切ることもあれば、始めるために区切ることもある。区切ることにより、整理をつけられ、忘れないようにすることもできる
しかし、わしらの、この“生きる”という営みは、命尽きるまで途切れることなく止まることなく続いてゆく
それを続けておると、より豊かに、より便宜にと求めてしまうが、この一年を通して、当たり前のように思えることがいかに幸福であるかを、改めて思い知らされた。そして、便宜さがゆえに生まれる悲しみや苦しみも目の当たりにしてきた
心を鬼に囚われ、猿の尻笑いが如く、顔なき言葉により傷つけ、それに涙し、あまつさえ自裁を選ぶもんたち
片や、危険を顧みず、疫病と戦うもんや、彼らに温かい賛辞を贈るもんもたっくさんおる
辛いとき、苦しいときほど、人の心根が見えてくるのかもしらんのう
わしは今、やさしい言葉、温かい言葉を口にできておるじゃろうか
一人じゃと不安は募るばかりでいかんな
「そんなもんよ」と明るく言い放つ市蔵
「だから笑うんじゃ」と得意げに漏らす慶次
「わしはここにおる」優しくも力強く言い切る政宗
「こっからじゃい」すべてを見据え嘯く信長さま
わしには仲間がおる
そして、これを読むよぬしがおる
おぬしにも、 わしがおる
例え、離れていても
例え、会えずとも
これまでも、ありがとさん
これからも、ありがとさん
今日も空見上げ、羽広げられたことに
それでは、またの
最後に。先立つものたちの冥福と、今尚戦うものたちの安寧、そして泰平を祈る
太閤 泣きっ面に蜂蜜で笑顔間違いなし 秀吉