生牡蠣を食し、食中毒を喰らい、悶え苦しんでも尚、一年も経つとそれを忘れまた、生牡蠣を食い、食中毒を喰らう学習能力とやらには縁遠い歴史を繰り返しておる馬か鹿か、否、サルだぎゃ

 

 まあ一個まあ一個と、たいがいにしとかないかんよ、今夜のおかずがわやになってまうわ。生牡蠣さんもいかんて、うますぎるもん!(元ネタがわからんもんは鎌倉ハムで検索するのじゃ!!!)

 

 

 

 さておき

 

 

 

 今年もこの日がきやあした

 

 皆はどう迎え、どう過ごし、何を想い、何を感じたかや?

 

 わしはと言えば、特別なことは何もできてはおらんが、昨年語った通りこの一年、粛々と、悔いのないよう心掛けて参った。振り返れば悔いになりそうなこともそりゃああるが、そのときの精一杯の結果として受け止め、今日よりまたより良く生きていこみゃあ、と心新たにした次第でござる

 

 

 

 この時世、世界的な疫病により、世の中は鈍より曇っておる

 

 皆の生活にも大なり小なり影響を与えておろう。苦しい思いをしておるもんもようけおる。苛立ちを募らせたもんもおるじゃろう。この閉塞感は九年前のそれにも似たものを感じる。被害が拡大せず、早う収束することを願うばかりだがね

 

 

 

 人は自然の前には無力じゃ

 

 わしらの時代にも、地震や疫病が流行った

 

 わしが天下統一を間近に控えた頃の、天正の大地震を皮切りに、全国各地で大きな地震が発生し、甚大な被害を起こした。ルイス・フロイスの日本史にもそのときの様が記されておるが、その後の豊臣政権、そして、江戸幕府に大きな影響をもたらしたのは言うまでもないじゃろう

 

 また、今被害を広げておるコロナと広義に同種であるウイルスなるものでいえば、古代より根強く蔓延っていた天然痘に苦しめられた。近しいところでいえば、我が息子、秀頼も天然痘にかかり、顔にあばたを残したし、独眼竜で知られる伊達政宗が右目を失明したのも天然痘によるものじゃと言われておる

 

 この天然痘は、現世では根絶が宣言されておる。インフルエンザやコロナウイルスの根絶も不可能ではにゃあと信じ、戦い続けるしかないのう

 

 

 

 いつの世も、自然と対峙し、自然と共生するわしら。自然は常に未曽有で、後手に回らざるを得ない。わしも豊臣政権下、上に立つ責任として、判断を迫られることが多々あった。その時に悩み、時に迷いながら下した決断は時に誤る。誤れば非難されるのは政を担うもんの宿命だもんで、どれだけ非難を受けようと仕方あるまい。それでも、試行錯誤を繰り返し、事態に臨まざるを得ん

 

 じゃが、上に立つもんとて人。絶対ではにゃあ。こんなときにこそ民が民として出来ることはようさんある。皆で手を取り合い、支え合うことが何よりも大切じゃと、わしは思う

 

 不測の事態が起こったとき、混乱することもあるじゃろう。不安になることもあるじゃろう。しかしそれは皆、等しく同じ。一人では出来ぬことも、力を合わせれば成し遂げることができることもある。自身が辛いときこそ、他者を思いやれれば、それが事態を好転させる切欠になることもある

 

 また、普段、横柄な態度をとるもんはこういうときにしっぺ返しを食らう。反対に、普段から心遣いができるもんは、危機に陥ったときに助けてくれるもんがおる。そういった意味でも、日々の過ごし方、日々の積み重ねは大切だがね。己を律し、普段から人に優しく生きることこそ、いざというときのための最大の予防手段なんじゃなあ

 

 それはわしら、東日本大震災のときに体感したはずじゃ。辛い中でも、優しさが優しさを呼び、広がり、人々が立ち上がった。ついつい忘れてしまいそうになるが、人はいつだって支え合って生きてきたんじゃ。人間万事塞翁馬。幸不幸は価値観によって変わり続け、その予測はなかなかできん。じゃが、だからと言ってどうしようもないもんではなく、これを好機にするも、危機にするのも、わしら人次第なんだがね

 

 

 

 忘れては思い出し、誤っては正してゆく、そうしてひとつまたひとつ学んで歩んでいこみゃあ

 

 

 

 先立ったもんたちの冥福を祈り、今奮い立つもんたちに敬意を込めて

 

 

 

 ときは今 あめが下知る 弥生かな

 

太閤 いまに上りし そらに日輪 秀吉