サルだぎゃ



信長様がパクることにとりつかれ、慶次が夏の魅力にとりつかれ、市蔵が花粉にとりつかれ、直政が悪夢にとりつかれ、佐吉が旅の話題にとりつかれておる今日この頃、皆の衆、いかが過ごしとりゃあすかや?



直政よ、そんなもん、



よーうーかーいーのーせーなーのーねー



そうだがや



あやつめ、まだ妖怪を認知するからくりを手にいれておらんとみた。鍛練がたりんのう



かくいうわしも、気づいておらんだけで、なにかにとりつかれておるやもしれん



いや、このせせこましい秀吉、とりつく島もなかろうてっ!



今日で如月もしまいじゃな



明日からは弥生



春も近いのう



この時期は出会いの季節でもあれば別れの季節でもある



また、目覚めの季節でもあり、眠りの季節でもありゃあす



笑顔の花を咲かせるものもあれば、涙の雨をふらすものもあろう



いつか忘れることもあれば、いつまでも覚えていることもある



人が節目を大切にするのは、その指標にするためなんじゃと、わしは思う



とどまることをしらない時の中で、桜の蕾が花開く頃、そこもかしかも蝉しぐれがひびきわたる頃、稲穂が頭を垂れる頃、おぬしの頬が赤く染まる頃、わしらは刹那を記憶する



時を刻むからくりのないわしらの時代では特に、節目が教えてくれるんだで



節目は、こちらが待ち望もうが逃げ回ろうが、はやることもおくれることもなく、一歩一歩確実にやってくる



だもんで、わしらは節目を粗末にすることなく、寵愛することなく、受け止めにゃならんのじゃろうな



鴨長明は記した。ゆくかわのながれはたえずしてしかももとのみずにあらず



あらがわず、流れに身を委ねながら、その意志で岸を目指すことが、うまく生きていくことなのかもしらんな



ま、わしは抗うほうじゃけど



太閤 逆流に燃える 秀吉