皆の者、息災か。
加藤清正である。

けふは踊舞と共に城に出陣して参った。
寒波が到来していると聞いたが、思うたより穏やかで暖かい日となった。
やはり日がいでて風がないと心地良い気候になるものじゃな。



さてさてけふは我が「清正茶論 二杯目」の抽選日。
昼過ぎには皆に結果が届いた頃じゃろう。
此度援軍叶わなかった者も、お主らのお陰にて必ずや次に繋げる事が出来ようぞ。
心よりの感謝を捧げたい。
ほんにほんにありがとさんじゃ。
また来月、楽しみにしておいてちょうよ。


此度の清正茶論は二月十四日ばれんたいでーじゃな。
今日であと一週間を切る事となった。
平安時代と平家物語の恋愛模様についてわかりやすく楽しく伝えて参るで、心待ちにしとってくれ。



さ、此度取り上げる和歌はこれじゃ。


「天の原 ふりさけ見れば 春日なる
みかさの山に 出でし月かも」
(あまのはら ふりさけみれば かすがなる
みかさのやまに いでしつきかも)


今の言葉に訳すとすると、次のようになるかの。
「大空を振り仰いで見てみると、月が出ている。
あの月は、私の故郷である春日の三笠山に出ていた月と同じものなのだなあ」。


この和歌を詠んだ安倍仲麻呂卿は遣唐使として唐に渡り、日の本に帰る事を望みながら唐の地にて栄達し、生涯を終えた者。
唐王朝と日の本双方に愛され、漢詩の世界で詩仙と崇められる李白とも親しかった。


此の和歌は、唐の地にて詠まれた望郷の和歌。
儂も毎晩月を仰ぎ見ておるで此の気持ちはよくわかる。
自分自身がどのように変ろうとも、かつて観た月と今観ておる月は何も変わらぬ。
遠く離れた地においても同じ。
儂が観ておる月と、今お主が観ておる月も同じ。
月を通して我らは繋がっておるのじゃ。


冬は空気が冴え冴えとし月の表情も違って観える。
寂しい夜は月を観よ。
その時必ず儂も月を観ている。
独りじゃないぞよ。
月を観る時、我らは月下の友と成る。


加藤清正


撮り損ない