皆の者、息災か。
加藤清正である。


けふは前田利家様、前田慶次殿、踊舞、凛太郎と城に出陣して参った。
昨日一昨日とは打って変わり晴天の気持ち良い天気であったな。
心なしか大分暖かかった。
これよりは寒くなって参る程に、城に登城せし際は防寒を怠るなかれ。



さて、此度は百人一首の五つめを紹介致す。


「奥山に 紅葉ふみ分け なく鹿の
聲きく時ぞ 秋は悲しき」
(おくやまに もみぢふみわけ なくしかの
こえきくときぞ あきはかなしき)


秋の侘しさ、寂しさ、物悲しさを歌った和歌。
黄金色と紅色の錦の如く鮮やかな情景と、聞こえて来る寂しげな鹿の声とを見事に対比させておる。

実はこの歌、「奥山に 紅葉ふみ分け」ているのが誰なのか昔から議論されておる。
即ちこの歌を詠んだ者か、鳴いている鹿そのものか。

詠人であらば、訳は
「深山を紅葉を踏み分けながら歩いていると、鹿の声が聞こえてくる。
このような時こそ、とりわけ秋のもの悲しさを感じられるものだ。」

鹿そのものであるならば、
「人里離れた深山にいる、妻を探し鳴く牡鹿の声が聞こえて来る。
その声を聞く時、とりわけ秋の悲しさを感じられるものだ。」


どちらが好みかはお主次第。
寂しさを共有する前者か、大自然と季節の移り変わりに思いを馳せる後者。
どちらも味わいがあり、もののあはれを感じる事が出来るわな。
いやむしろその二通りの解釈が出来るからこそ、この歌の深みが浮かび上がって来るのかもしれん。


さあこの歌、小倉百人一首において作者は「猿丸太夫」と伝わるが、実際は誰が詠んだか分からぬ歌。
というのも、最初に収録されし「古今和歌集」においてはよみびとしらず。
そしてそのもの猿丸太夫という人物は実在が定かではない伝説上の歌人じゃ。


和歌の詠人は後世の者が仮託したものも多くあるが、この歌もそれに違わぬ例と言えよう。


さて、此度の和歌の話はここまで。
清正茶論第一回が終わったからというて、我が和歌への熱き想いはとどまらん。
これからもどんどん皆に古典の面白みを伝えて参る。
引き続きよろしゅうな!


加藤清正