皆の衆




もうはや




夜も更けたか




皆は、いかように一日を過ごしたかのう





。。。。




さて



下記は以前、儂が書いた
 


環境に関する寄稿文である

 
・・・・
 

文を書くのは幼少より不得手


 
そして筆不精の儂にとって苦悶の末に認めた駄文


 
・・・・



皆の要望次第で


過去のものを掘り起こし

 
連載化とする「やもしれぬ」

 
・・・・

 
読んだ後は
 

復命(こめんと)致してくれると

 
嬉しき事であるわな

 
 
・・・・



 
 
まあ一度、読め
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「人間のおごり 反省すべきとき」
 
 名古屋開府の祖にして初代江戸幕府将軍、
徳川家康である。
現世は良い。民は飢える事なく生きておる。
命をぶつけ合う戦がない。
なんと申しても合戦を想定して築いた
最大級の軍事要塞「名古屋城」へは、
ようけの観光客がそれも笑顔で参る。
世も変わったものよ…。
 
 
 400年の眠りより蘇りしこの家康を驚かせ、
喜ばせるに十分な平和な国となってくれた。
まことに嬉しい。
100年続いた戦国時代を終わらせ
天下泰平へと導いた儂にとって
これ以上の幸福はない。
 
 
 しかし、同時に思うのは人間とは
さも不思議なイキモノ。
これだけ豊かであっても
民は変わらずシアワセを勝ち取るために
必死に生きておるとな。
 
 
 単刀直入に申す。
 
 
 現世の民よ、自分勝手に生き過ぎじゃ。
 

 もうちと周りをよく見よ。
おぬしらは賢い。
本当はわかっておるのであろう。
 

 この漢字「自然」は何と読む?
「しぜん」であるな。
儂が生きておった時代は「じねん」
と呼ぶ言葉でござった。
簡単に申せば「しぜん」とは
人間が制圧すべく野生。
「じねん」とは
野生や原生林と対するのではなく、
人間も含めた目に映る全ての
あるがままの姿である。


前者は人間のおごりじゃ。戦もそうであったが、
これほど幸福を感じやすい世で
不満がある事もおごりである。
 
 
 儂は「自然をまもろう」
という投げかけもどうかと思う。
「じねん」とは何も守ったり
仲良くしたりするものではなく、
ただ共に生きるだけ。
自分の友のように対等な立場である者ではなく、
自分もふくめた全てが生かされておる場所。
ゆえに時に優しく、時に厳しい。
自分中心に整えようとすると
かえって自分の為にならん。
正に人生がごとく。
 
 
 近年ではエコロジーという
耳慣れぬ言葉がよう使われておるな。
人間も生態系の一員であるとの視点から、
人間生活と自然との
調和・共存をめざす考え方だそうじゃ。
良いではないか!儂は名古屋城で有名な
金の鯱(しゃち)を屋根の頂上に
載せたんじゃが、
その理由は「火災の魔よけ」であった。
鯱を「水の神」として
火に対抗させる意味があったんじゃ。
しかし振り返ってみると、
わが徳川幕府は自然も制し、
この世を創れると、多少のおごりがあった。
 
 
 その結果かどうかはわからぬが、
築城してから350年後には
ついに戦争で焼けてしまったのじゃ。
正直に申せば、このおごりが
「じねん」の道を外れ
天罰がくだったのかもしれぬと
反省をしておったところ…。
 
 
 ゆえに儂も、
これを機におぬしらと共に
全てのものが望むシアワセを勝ち取り、
「生きる極意」を共に学んでいこうではないか。
儂は昔を、おぬしらは現世を共に教え合うことをここに誓え。
 

 これは頼みではない。
 

 我が命令じゃ。
 
 
 
(平成二十五年四月寄稿文を元に)
 
 
 
徳川家康


























次号を願う者は





おるかのう