皆苦労である。


清く正しいと書き、加藤清正である。



8月も今日で終い。



様々な事が御座ったが・・



一つ。逃したことが御座る。



それは何ぞやと申さば



先ずはこの写し絵を見てもらおう。





我が主君、師達と共に戯れし黒き熊・・



そう



くまモン。




くまモンとは誰ぞ、と思う者もおるやもしれぬ故に説明致すが



儂がかつて治めし肥後(熊本)の魅力を全国、世界へと発信致す熊。


役職は熊本県営業部長、しあわせ部長。



名前の由来を説明いたすが



くまもんとは熊本の者(熊本では者をもんと呼ぶ)と申す故にその意味も踏まえ名付けられたそうな。



尚、くまモンの呼び方においては


く↑まモン

く↓まモン


と地域により分かれておるそうな。



くまモンの誕生及び数多の武功により



未曾有のくまモン旋風を日ノ本に巻き起こし・・



肥後の経済をまわした。言わば肥後の英雄。





そんなくまモンが名古屋城へ登城し、交流を深め





告知を致し去っていったと聞く。




儂がおらぬ日に・・(その日は別戦にて名古屋城を離れておった。)



そう、この加藤清正






運悪く



くまモンに滅多に会えぬ・・っ!!




そもそもくまモンの誕生は儂の存在無くして成り立たぬ。



何故?



皆が現在熊本県と呼んでおるが



その熊の字に致したのは儂ぞ。



儂が佐々成政様の後釜として肥後北半国を治めた際・・





隈本城を居城としておったが



隈の字は大変恐ろしいと申す意味も御座った故に改修する際に



隈の字を熊に変え申した。



結果、今は熊本と呼ばれておる。



儂という存在はくまモンにとって必要不可欠なのである。



儂は会いたい。くまモンに。



くまモンに聞きたき事が御座る。



どうやらくまモンは

我が娘のあまと親しいらしいな。


肥後における様々な戦場にて


我が娘と近しき距離で写し絵を・・


儂は尾張の地からも見ておるぞ。

儂は問いたい。






我が娘を好いておるのかと。




我が娘を妻として迎えたいのであらば



父である儂と話しをせねばなるまい。


・・・


うちの娘はやらん!!!


と、突っぱねてやりたいところではあるが



儂はかつて


徳川家康様との関係を築く為



徳川家家臣である榊原家に嫁がせた。



今で申すところの政略結婚。



娘には悪いことを致した。



故に、現世では娘の意を尊重致したい。



もし、我が娘「が」くまモンを好いておるのであらば・・



その時は・・・。



む、目からなみ・・否、汗か。



兎に角、我が娘に引っ付くのはまだ早い。


じゃが


儂が肥後へ戻る迄の間、娘の護衛を致すのであらば認めよう。



適度な距離にて近づくことを。



ふぅ。



ついつい熱くなってしもうた・・



冷静に、冷静に。



皆もくまモンに会えると良いな。



今日皆が覚えるべき知識は


「尾張生まれの加藤清正が隈本を熊本へと字を変えた結果、くまモンが生まれた。」


今日も為になったであろうか。



はい。



明日は名古屋城にて我等名古屋おもてなし武将隊、月に一度の十人演武。



場所は西之丸、時間は11時よりは忍者隊の演武。我等は11時15分を開始予定。



雨の場合は中止になってしまう故にあしからず。


皆の登城を心より待っておる。



・・・皆の中でこの8月、一番の思い出は何ぞや?




来月も共に、戦場を駆け抜けようぞ!



では、また会おう。



さらば!

良き夢を見よ。




~出演情報~


◯名古屋おもてなし武将隊戦国音絵巻



戦国の知識を学びたい、戦国武将、足軽の生態が知りたい者は聞くと良い。聞けばわかる。


おもてなし隊なごや


名古屋の魅力を発信せし我等が様々な場所に足を運び、有り難きお得な情報を短い刻ながら伝えたくる番組。
此れを見れば、名古屋の魅力が深まる。



○名古屋グランパス戦伝隊

我等名古屋おもてなし武将隊、服部半蔵忍者隊は名古屋の赤備え蹴球軍団、名古屋グランパスを鼓舞致す!天下を取れ!グランパス!



~個人的告知~

◯名古屋城検定


毎年行われし、名古屋城の知識を試す名古屋城検定。今年度は天守閣の石垣を担当致した某、服部半蔵忍者隊からは半蔵殿、凛が戦伝大使に。
今現在注目を浴びし名古屋城、是非とも興味を持ち学んで貰いたい。儂も受験致すぞ。






名古屋城指南を受けたくばこちらを見よ。

儂からは以上である。