皆の者達者であるか?

大ふへん者前田慶次じゃ!


我が日記帳開き大義。
戦働き苦労である。
我も此れより帰陣する。
けふも皆に歴史を伝えて参る。


題目一六〇七年三月五日
徳川家康殿、四男坊松平忠吉天に身罷る。
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二十八歳という若さで此の世を去った
松平忠吉。



実は松平忠吉が天に身罷る事が無かれば
忠吉が尾張藩主になった可能性が高いのだ!



尾張初代藩主は徳川義直。
九男坊じゃ!



清洲を拠にしたは忠吉であり
将来性もある者であった!



何を隠そう、此の慶次郎を引き抜こうと
した者であり



我自身も松平忠吉であれば
仕えても良いかなぁぁぁ?


とちぃと思った事もある!
ワッハハハハハハ




愛知県は名古屋の者は無論
覚えていて欲しいし
儂が好きな者も徳川の歴史が好きな者も
外せぬ人物であるぞ!
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(後ろに宗盛様)
皆勉強になったか??




けふは早朝より尾張へ向かったのであるが
強風の影響により
鉄籠も上手く飛ぶ事叶わずと。。




我が肥後に参る際
帰陣の際必ず嵐が来るのじゃが。。。





天からの嫌がらせか???
ワッハハハハハハ





何とか尾張に着陣し
その足で鍛錬。
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絆まであと僅かという心持ちと
遠征の体力消耗は
己が体に鞭を打つかの如く
痛めつけた。ワッハハハハハハ




遠征からそのまま鍛錬とは






四百年前じゃ考えられん!!!




儂働くようになったなぁー
ワッハハハハハハ
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肥後でまた茶を馳走になりたいものだ
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覚兵衛ありがとさんじゃった!
清正はええ家臣をもったわ!
名古屋城築城にも尽力した覚兵衛。



此奴の戦働きは細やかな配慮、対応をみせる。




覚兵衛も儂の家臣にしたいな!
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なっ!清正!ワッハハハハハハ
早よ肥後遠征記を認めねば。。。
熊本のことを始め
盟友熊本城おもてなし武将隊
各地の武将隊
数多の出会い



肥後守清正の想い。





伝えねばならぬ事が多すぎる。
清盛隊の皆様との写し絵は小出しにする!
へへへへへへ




よし。
もう我は寝る…!




御前達も早よ寝ろ!

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使



前田慶次郎利益




追記
初返文(コメント)もある中
触れる事が出来ずで済まぬ。
皆いつもコメントありがとのぅ。
確と読んでおるぞ!
取り敢えず無理するなは無理だ!
ワッハハハハハハ