皆の者達者であるか?
大ふへん者前田慶次じゃ!
我が日記帳開き大義。
先ずは此度伝えたき義がある。
本日は現世で元服の日(成人式)
新成人の者達、祝着至極目出とうさんじゃ!
我が盟友達も元服を迎えた。
二人はなごや万華鏡落語では共に舞台に立ち
戦い、まちバルでも共戦!
我の弟分と言っても過言ではない!
せつら、聡太
元服祝着至極。
江戸で行う演武(LIVE)が勝戦に成る事
祈っておるぞ!
主等なら大事ないな。。
まだおるぞ。
チームしゃちほこ
元服祝着至極!!!
遥奈殿は翌年じゃな!ワッハハハハハハ
しゃちほこの面々も翌月には
江戸で演武と尾張での演武を控えておる!
元服致して
「マジ感謝」の心と共に
更なる飛躍を此の慶次郎願っておる!
両組共に元服の祝いに我が名
「利か益」の一文字を与えたいくらいよ。
っていらぬか!ワッハハハハハハ
改めて目出とうさんじゃ!!!
日ノ本全土で目出度い本日
恵の雨とは申せど、、
元服の日。
天に日輪が登って欲しかったものだ。
一之助はいつ何時も祭らしい。。
演武が無く、楽しみに登城した者も多く忝い。
代わりとは何であるが
登城せし皆ありがとさんじゃった!!
おぉ、
けふも聞いたぞ!!!
刀剣女子達にな。
刀剣女子
「あの、写真撮っても良いですか?」
慶次
「構わんぞ。共に撮った方が良かろう。近う寄れ!」
刀剣女子
「あ、、」
慶次
(此れは行ける気がする。)
交流深めれば刀剣乱舞が好きと申す。
慶次
「刀より儂の方がええじゃろ?」
刀剣女子
「はい!かっこいいです。会いたかったです!」
慶次
えい、えい、
おうーーーー!!!!
これを始め嬉しき出会いも多く
雨も悪くないと思うたぞ。
然れど、寒ぅのは堪らんのう。
参り者達も流行病に気をつけよ。
油断召されるなよ!?
元服に関してちぃと話もでき
良き刻を過ごせたのぅ。
まぁ、熱っくるしぃ話もしてしまったが
盛り上げたい気で一杯なんじゃ。
千秋楽が無い我等は常に上を目指し
走り続かねばならぬ。
永劫とは斯様な話であるな。
全国武将隊大博覧会で一致団結し
文化を盛り立てたいのぅ。
全国から参る姫達と出会い
儂に惚れればええ!
なっはははははは
武将博の時は
包囲網の証とか作るか!?
士気上がらぬか?
嘗ては馬印を掲げたり、
同じ色の具足を着用して
判断したもの。
例えば
儂の手拭い、布、巾着等のグッズなるもの持参
赤、黒を織り交ぜた羽織にて参陣!
前田慶次軍やるか??
ワッハハハハハハ
祭や戦は派手に盛り上がる方がえぇ
妙案あらば教えよ!!
共に楽しもうぞ!!
儂が一番楽しむけどな!
ワッハハハハハハワッハハハハハハ
ワッハハハハハハワッハハハハハハ
さて
明日は我前田慶次が援軍に呼ばれ
戦に参る。実に楽しみな戦。
主等も楽しみにしておれ!!!
と。もう終いの雰囲気漂うが
傾奇者ノ歴史講話を認めておらぬ故
書き申す。
四百年前の今日何があったか、、、
題目
1615年1月8日
高山右近異国で身罷る。
高山右近、その名を聞いたことある者は
多かろう。
現世で切支丹(キリシタン)大名の一人として
有名な右近。
右近は10歳にしてキリスト教の洗礼を受け
ジュストの名を得る。
当時として洗礼が早い!!
時が経ち
信長様亡き後は羽柴方として
様々な戦場に馳せ参じ武功を挙げる!
右近は人徳溢るる武士であった。
多くの大名達が右近の徳に魅力を感じ
キリシタンとなった。
黒田官兵衛、蒲生氏郷、細川忠興
そして、おじ○も。
右近の天晴れな所は己が自身で
キリストを強制する事なく
洗礼を受ける者が多かったということ。
結果的に領民の殆どが信者になっていたとか!
やはり右近自身が徳のある者で
人々はその魅力に惹かれていた証!
然れど時代はバテレン追放の時。
叔父貴が前田家に迎え入れ前田の客将として
本に右近のやつ良かったのぅ。
右近は築城が盛んな機内出自もあり
金沢城の修築に携わり
前田領の高岡城の縄張りも担当!
前田家として過ごしておったが
徳川家康殿に見つかり
して、
1615年1月8日
右近は天に身罷った。
日ノ本においても多大な影響を
与えた右近は後世に
キリシタン大名として
其の名を轟かせたのであった!
皆勉強になったか?
一日の振り返りと歴史講話と
内容の厚い(いつもな!!)日記帳となった。
色々あれども
けふは元服の日。
二十歳になった者は周りに感謝の言の葉を。
周りに元服した者がおれば祝いの言の葉を。
互いにこれまで
有難う。と面と向かって申せ。
ほいで、文に認めるも大切である!
相手を想い認める文は必ず伝わる。
文を書く時間は
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使
前田慶次郎利益