皆の者お早うさんじゃ!

大ふへん者前田慶次である。


我が日記帳開き大義。



本日も皆に歴史を伝えるべく筆を執る



400年前の今日何が起きたか、、、




此度の題目
1556年1月6日
藤堂高虎生誕!
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うむうむ。


我が
歳下乍も礼賛する人物の藤堂高虎。



近江国(滋賀県)の出自。
若き頃より戦場で活躍し功を立て
其の名を知らしめる。



中でも初陣ではないが!!!
高まった気持ちを抑えれず
父と兄の後を追いかけて
手製の刀と竹槍を持ち13歳ながら
大暴れ!!ワッハハハハハハ



武功に嘗ての主君
浅井長政も褒め称えた。






初陣は姉川の戦い。




主君は敗れ




高虎は羽柴方の配下に。



安土城の築城に携わり
築城術を学ぶ。




此れが400年先の世にまで轟かす
きっかけであったのは高虎は、まだ知らない。
(↑言い方伝わるか?何か言いたかった)





羽柴方として数多の戦に出陣し
其の名を全国に轟かす。




元々体は大きく常人離れした人間じゃった!
水軍指揮も取れる万能な武士也。




そして、築城の名手と呼ばれた高虎の
初めての築城が来る。



和歌山城と岡山城



この頃に高虎と名乗るようになる!





此の先の高虎の築城術は天晴である。





聚楽第における徳川の武家屋敷築城を
命じられた高虎は





ん?何だこれは?
こんな設計では守りが弱いではないか!!



と申して
渡された設計図から勝手に変えて築城!
然し乍ら、変えた部分の築城費は
己が負担するという義を見せる!



此の対応に徳川家康心打たれ




高虎に刀を授けるのであった。





早くに隠居する高虎であったが
その才覚に秀吉様が直々に
お止めになられた程、天下の誰もが
高虎を才覚溢れる人物と評した!





其の才覚が光り輝く時がくる。




今治城を築城!!!!




此れは層塔型天守の先駆け!
そう。名古屋城の如く
一階から頂まで殆ど大きさを変えずに建てた
天守は、当時信じられぬ技術であった。



今で申せば高層ビルを初めて建てた人!





多くの城に影響を与え
名古屋城縄張りにも一枚噛んだ高虎は
難攻不落の城作りの天才!





儂は天下一の築城名手と讃える。









然し乍ら




高虎は主君変えが多い男であった。
(儂みたいじゃろ?)




此れだけ申せばあれじゃが、、
高虎は先見の明があった。
世の趨勢を見る力は人一倍あったわけじゃな。





いやー
高虎は我も好きな武将故
もっと






もっと







もっと





語りたいが




其れは名古屋城でするか
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では、けふは名古屋城で演武。
一期一会を大切に
新しい姫や力強い男に出会える事
楽しみにしておる!



けふは必ず
儂の家臣になりたいという者を作る!

よし!



いくぜーー



以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使



前田慶次郎利益