皆の者今晩は御座る。

大ふへん者前田慶次じゃ!


我が日記帳開き大義。
皆本日は名古屋城、戦国音絵巻
楽しんであろうか?
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戦働きも苦労であったな。
毎日返文(コメント)もありがとさん!
拝読しておるが、温石は使わん!
代わりに毛皮でもふもふしとる
陣羽織が欲しいものよ。





では、400年前の今日何が起きたか、、
伝えて参ろう!



此度の題目
1602年12月18日
島津忠恒が上洛し徳川家康と謁見。
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島津家については
前にも触れた故、知らぬ者は
タグ(#)なる物を頼りに探すと良い。


島津忠恒は島津義弘様の子息にして
薩摩藩初代藩主に候。
家督を継ぎ島津家を盛り立てた。
(とは申せど、義久様が力を持っていたようじゃがな)



島津家は名家故にか
忠恒は家督を継ぐ前は蹴鞠に明け暮れ
酒に溺れる日々だったとか。


然し其処は島津家の血筋!
戦になると武功を挙げ
名に恥じぬ戦働きを見せる漢だとか!
(勉強せずとも試験で結果を出す質じゃ)



時は流れ
関ヶ原の戦い。
島津家は西軍に付き徳川家を困らせた。




その件について和平交渉を幾度か行う。



して、1602年12月18日。
父義久に代わり忠恒が徳川家康殿に
謁見するべく上洛し頭を垂れた。


島津家は領地を安堵!



更に忠恒は家康殿の名を賜り
家久と改める!


家久は参勤交代の先駆けでもあったらしい。
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島津家として生まれながら
一時は名ばかりの男になるかと
思いきや、武士として戦場を駆け巡り
天下が移ろうと島津家を守った!



御家存続させるのは
乱世では難しい事であったのじゃ。




皆勉強になったか?




平日も始まり本年の
戦もあと僅かではなかろうか?
我自身、平日に名古屋城出陣が無いが
武士語に向けて最終段階ときておる。


歴史の移ろいを皆に楽しんでもらうべく
己に成せる戦働きに集中するのみじゃ。





それはそうとな。
異国の文化を学んでおる此の慶次郎。
聞くと二-六歳の間に人間は言の葉を
よう覚えるらしいぞ!



故にバテレン語を始め
数多の言語を聞かせ話させると
良いとか。

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四七五歳じゃ…覚えが悪いということか。
くっ。


周りに童おれば
数多の言語で交流する事を勧めるぞ!!



以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使


前田慶次郎利益


追記
髪伸びてきたのぅ、、
ほいで見たらいつの間にか日記帳も千百項越えておるな。

とある者達が七年で天下一を取った。
一四八万を動員。。
戦を越えるか…