皆の者こんにちは御座る。
大ふへん者前田慶次じゃ!
我が日記帳開き大義。
前回の日記帳にて持ち得る知識が繋がり
歴史の面白味を
感じた者が多かったようで何より。
斯様な者が増えるよう今日も
筆を執り申す!
400年前の今日何が起きたか。。。
此度の題目
土佐浦戸一揆平定
では初めて参ろう。
土佐とは土佐国(高知県)の事也。
四国の中心国であり、鰹のタタキや酒が有名!
此の地を支配していたが
長宗我部成親である。
(苗字がどこまでか分からないで有名な武将)
チャウソカベナリチカと読む
一揆は反発する集団を指す。
つまり
土佐国の浦戸という場所で反乱が起き
其れを治めたのが今日である。
大事なのは何故起きたか!
1600年と申せば、
答えれたか?ワッハハハハハハ
関ヶ原の戦いで土佐国領主
長宗我部成親殿は西軍に付き
戦に負けた。
徳川方より改易処分(クビ)と追放処分を受けた。
(厳しい処分じゃわ)
徳川方は家臣を土佐国に送り
当時の拠点である浦戸城を接収するべく
迫った!!!
とな。
一揆が起きる!!!
四国諸大名に鎮圧を命じる。
一方、長宗我部側で問題が起きた。
家臣間で意見の食い違いが、、、、
(命のやり取りとなると人間変わるものだ)
揉めに揉めたようで
一部開城。。。
鎮圧軍が攻めに入り
浦戸城は接収された。
其れが1600年12月5日のこと。
数ヶ月後に新領主
山内一豊が入国し
土佐国の基礎を築きあげるのであった!
関ヶ原の戦いで一件落着と見えるかもしれぬが
黙っておる者ばかりでない!
其れが教科書に載らぬ事実。
其方も戦で納得いかぬことあれば
籠城するか?申し立てるか?
逆裁覚悟で一揆で攻めるか?
屈服させるは難儀な事であるが
己が道を進むには
納得させる結果を示す事が必定。
成果を上げてこそ
意見は述べるべき。
我はそう思う。
では、午後よりも戦働きに励もうぞ!!
いざ、出陣!!!
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使
前田慶次郎利益