皆の者こんにちはじゃ!

大ふへん者前田慶次である。


我が日記帳開き大義。
けふも勉学致して参ろうか。



四百年前の今日何が起きたか
皆に伝えるべく筆を執る!
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(名古屋城は見事な紅葉で色粧す)
此の写し絵如何であろうか?
(上手い?上手かったら褒めろ!)



紅葉が見頃な今日の題目は




1579年11月26日
竜造寺隆信公が筑後、肥後北部を平定!!
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どどん!!



さてさて。
ある一人の大名がある土地を平定したという
今日。



筑後とは福岡県のことであり
委細に申すと南部側である。



肥後とは熊本県のこと。
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清正が治めた地として有名であるな。




両国ともに九州に属する国々。



此れを平定したが
竜造寺隆信公!



竜造寺隆信公とは肥前国(佐賀県)を中心に
九州の覇権を争った大名である。


九州という土地は
剛気な武士が溢れ
治めるが難儀な地であった。



然し乍ら、竜造寺隆信公は智勇に長け
「肥前の熊」と称される程の武勇に優れた武士。




一大勢力を築いた竜造寺隆信公であったが
九州の鬼こと島津!
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島津家と遂に戦うことになり、、
討死。。。



夢半ばに散った。






然し乍ら
竜造寺隆信公は偉大な人である。
隆信公は竜造寺家の分家として生まれ
僧として育てられる。
元々竜造寺家は本に小さい家でであったが
九州三傑の一人にまで数えられる程に成長。



委細には認めぬが
戦国乱世らしい生き方をした人物だと
儂は思うておる!


下克上の乱世に
一花咲かせた竜造寺隆信公についてであった。




突然の名古屋歴史!!!!
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竜造寺隆信公の重臣鍋島直茂の子勝茂は
名古屋城築城普請に関わっておる。
鍋島家が拠点とした佐賀城の鯱は
名古屋城の鯱を参考にしており
夫婦の一対鯱であり
北に雄、南に雌で名古屋城と同じである。
本来は南北に棟がある場合
北に雌、南に雄を置く。
故に名古屋城意識を感じるのぅ。。




どうじゃ?
儂のようになれば
色んなことが結びつく様になる!
此れが歴史の面白味でもあるぞ??




そして、決まりものとして!
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ドヤ顔で自慢する!
皆も知識を深めてドヤ顔致せ!!
ワッハハハハハハ


以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使


前田慶次郎利益