皆の者達者であるか?

大ふへん者前田慶次じゃ!


我が日記帳開き大義。
いや、開き勉学しに参ったか?
いつも返文(コメント)ありがとさん。
勉学事になると返文が減るのはいつものこと。
















おみゃーさん達勉学嫌いじゃな!?
軽い気持ちで勉学せぇい。
人とは死ぬまで勉学だと我は思うておる。
楽な道より苦ある道を選ぶ方が
かっこええと思わんか??





さて。けふも皆に伝えるかのぅ。
戦伝大使の務め果たさねばならぬよのぅ。





三之丸に纏わる話をば。




昨日同様に検定向けの日記帳であるぞ。
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名古屋城は
本丸、二之丸、三之丸、西之丸、御深井丸
以上の曲輪である。



三之丸は現在愛知県庁や市役所を始めとする
建物が現存するが、嘗ては上級中級武家屋敷を敷き徳川家にとっても大切な建物が立ち並んだ。




挙げるとすれば
東照大権現こと東照宮である。
東照大権現とは元康が身罷った後に付いた神号。
(彼奴神らしいぞ。わっはははは〜
じゃあ我は大神様かのぅ!!!)
故に権現様や神君とも呼ばれる。(へぇ)


1616年元和2年 元康駿府で没する
1619年元和5年 義直が三之丸に東照宮建設


義直が元康の御霊を祀るために
亀尾天王社(後の那古野神社)西隣りに創建。
今の名古屋能楽堂の近く。

奉行は尾張徳川家宿老 成瀬正成と竹腰正信が担当。
創建当時は三之丸東照宮とも呼ばれ
3600坪の敷地面積があり、東照宮の中で最も豪華であった!




東照宮は全土に数多あるが
名古屋東照宮は早くに建てられた。



今の東照宮は
明倫堂(九代宗睦が創建した学校)があった
現在地に移転。


然し乍ら、昭和の戦にて全焼。(昭和20年1945年)



現、社殿は義直の正室 高原院の霊廟として万松寺に建てられたものを戦後に移築したもの。
(地下鉄丸の内 1番出口徒歩5分)


因みに
7代藩主宗春は、元康を崇拝しており
東照宮の御祭礼を華やかな祭りに戻した。
(質素倹約の時代に反した動き)



明治の世で名古屋東照宮は
国宝にも指定されておる。


今は名古屋市の都市景観重要建築物に指定されておる。



皆々、勉学になったか?
此れよりも励め!!
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二之丸権現山からの景観。

以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使

前田慶次郎利益




追記
嗚呼。御実城様。越後へ参れず
此の慶次郎無念に御座りまする。
然れど、連休の城守り直々の任故に
確と武功を挙げまする。
皆々名古屋城で待つぞ!



半刻(1時間)走ってきたぞ!!
体を動かして気分を変えるも良し。