皆の者達者であるか?


大ふへん者前田慶次じゃ!


我が日記帳開き大義。
前回への日記帳返文(コメント)
ありがとさんじゃった。
最後の着物演武に皆々が想いを綴ってくれたこと
嬉しく思うと同時に観に来てくれたこと感謝致す。


我は演武こそ
名古屋おもてなし武将隊の
武士魂が伝わると考え
初めての者も、家臣も楽しめるものと心得る。
故に、我自身試行錯誤し、幾度も試し
登城せし皆を楽しませるべく
戦っておる。
来月よりは甲冑演武故に、甲冑の重厚感ある
演武も刮目せよ!!
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変わらず立髪は健在ぞ!!
わっはははは〜〜!




皆々本日は如何様に過ごしたか?
楽しめたか?
戦に励んだか?




我としては
思う日であった。



敦賀城城主
蜂屋頼隆殿(はちすか よりたか)が身罷った日である。



連歌(俳句、短歌を楽しむ遊び)の友であった。
幾度と共に歌を詠んだ。


美濃国より信長様に支え
太閤殿下に仕え
蜂須賀家として
其の名を轟かせた文化人。


我が友がこの世を去った日。
1589年9月25日。



忘れはせぬ。




頼隆殿
天にて息災か?
慶次郎は現世にて戦い
嘗てより申しておる通り
民の為に戦っておる。



其方の生き様は我が後世に伝える。



其方の数寄者魂は天晴れなもの。
京の馬揃えでは
丹羽長秀様に次ぐ二番手に馳せ参じた姿
忘れはせぬ。



織田家の一軍として戦い
越前敦賀城4万石になった日、
祝い盃交わしたこと懐かしいのぅ。




其方の働きにて
太閤殿下が豊臣性を賜ったとな。




我も己が道を貫いた人間にして
嬉しく思う。




此度
其方を想い酒を呑む。







皆々
戦国時代を生き抜いた人間は数多おる。
三英傑の方々が後世に名を残したが
三英傑を支えた、一人の武士を忘れないで欲しい。




今を生きる前田慶次郎利益の願いである。
主等が生きる平成の世は
我等が戦い築いた。
数多の犠牲のもと。




斯様な日である。




伝えたかった。



以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使

前田慶次郎利益