爽やかな


風に揺れるは


儂の房


はい。


皆お疲れさん。


名古屋おもてなし武将隊、加藤清正である。



此度はなつを引き連れ名古屋城へ登城。


秋の訪れ


涼しく感じたが故に



甲冑にて出陣。


片鎌槍を掲げ、がしゃりがしゃりと歩く儂を見、客人達は興味津々であったな。



客人達と共に鬨の声をあげたが



皆元気が溢れており何よりである。




次会う時は倍の声を出せ。



日々進化也。



此度関わりし皆々、有り難う。




して、今日は何の日か知っとるか?


今日は天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いがあった日である。


徳川家康様率いる東軍対石田三成殿率いる西軍



勝者は東軍の徳川家康様であった。


此れを機に、徳川様は天下人に王手をかけられた。


儂加藤清正は


豊臣家の血を守るべく


当時天下人に最も近かった徳川様に味方を致した。誰だ、石田三成殿が嫌いだったからと安易な理由を申した者は。


して、多くの者が疑問に思っていたであろう。


関ヶ原の戦いの時期、儂は何をしていたのか?


とな


儂は当初徳川様から謹慎を命じられ、我が肥後(熊本)におった。



何故謹慎を命じられたのかは名古屋城に来た時に教えてやる・・。


して、謹慎が解かれた後に儂は黒田官兵衛殿率いる軍と共に


九州の西軍勢を鎮圧。


立花宗茂殿の柳川城


因縁の小西幸長殿の宇土城を開城、調略致した。






小西殿の宇土城攻略には骨が折れたわ。



当時小西行長殿は関ヶ原本戦故に宇土城には居らず、弟の行景殿が居留守役を任せられておった。


行長殿不在であらば容易と思うたが・・


行景殿は粘り強く善戦。


儂相手に一ヶ月も耐え抜いた。



兵の士気が折れかけても


兄は必ずや戻る。それまで持ちこたえよ



自ら率先し兵を鼓舞致し儂と渡りあった。



が・・



西軍大敗の報せをを聞き、遂に諦め敗北を認めた。


しかし、行景殿の心はまだ折れておらんだ。



なんと、開城の条件として


自らの命と引き換えに家臣全員の助命を嘆願致したのだ。


儂は条件を受け入れ、行景は自刃。残されし兵は我が家臣として迎え入れた。



小西行景殿・・敵ながら天晴れであった。


兄の行長殿と違い・・・!



と、言いたいが



行長殿も最期は天晴れ。



因縁があり不仲で歪みあっておったが




道は違えど信念を貫いておった。



それは石田三成殿もしかり。



もし、我等が同じ信念のもと歩んでおれば・・


豊臣家は今頃・・



と、考えるのは無粋であるな。



これが、儂の関ヶ原の思い出じゃな。






して、現世では映画なる絵巻にて


なんと!



関ヶ原が公開中。


石田三成殿が主軸となりて描かれておる。



儂と三成殿や小西殿の不仲もばっちり見れるぞ。


天下分け目の大戦の全貌をその目に焼き付けよ。



此度は筋肉談義でもなく



猫でもなく


歴史の話しを致した。


珍しく小西と石田に殿をつけたがな・・!



皆如何様であったか?



今日も一日有り難う。



縁が更に深まることを祈る。



では、おやすみ。



良い夢見ろよ。