皆の者勉学しておるか?

名古屋城検定戦伝大使前田慶次じゃ!
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我が日記帳開き大義である。
来たる名古屋城検定に向け
皆々に指南して参る日記帳
名古屋城検定戦伝記である!

名古屋城検定も九年目。。。


長きに渡り
名古屋城の魅力を検定と云う形で
伝えておる。



初級、中級、上級の三段階に分け
多くの者が受験してくれておる!


合格すると
仕官(就職)に益体ある
資格欄に検定の名を認める事が叶う!
他にも、品が貰えたりと
努力した証を手にする事が出来る!!



我は最難関の上級を受け申す。
無論、他の戦にて手を抜く事なく
どの戦も勝戦とし検定も突破致す!!
其方も務めがあると思うが
共に気張ろうではないか!







では指南して参ろうか。
此度は中上級向けと言うべきか。
普段ツアー等でも話さぬ内容を認めよう。





故に、読む者達がある程度知っておる!!
玄人基準で話す故に、、
分らぬ者は何度も調べながら読み進めよ!
初心者向けは今迄の日記帳を参照。





名古屋城初代城主
徳川義直。
青春期を家康殿の元で学び
培った知識と道徳心を持ち
元和三年(1617年)
尾張領内の法度を定め、諸士の役替え
知行の加増を行う。
藩政の着手に乗り出し
名古屋城下、領内の整備を進める。



此度の題目は領内整備



また
元和元年(1615年)
尾張一国だけでなく、信濃国木曽山、長良川沿岸も加増された。
尾張平野部を水害から守る為
家康殿が木曽川に築いた堤防。
義直はこの堤防を厳重に保護しながらも
用水路を完成させた!


また、寛永十年(1633年)
(本丸御殿上洛殿作事に着手と同じ頃)
農業用溜池として犬山に
全土で一二を争う広大な入鹿池(いるかいけ)を完成させ、長島一向一揆にて荒廃した土地を復興させるなど新田開発に尽力!!



その中でも一番力を入れた新田開発は
熱田新田である。
徳川義直は熱田新田により
五万二千石余を新田開発した!





更に!!
愛知県と申せば、瀬戸焼が今でも有名である。
無論、我等が時代も経済を動かす基盤であった。
義直はこの瀬戸の窯業を保護し奨励!


瀬戸物を世に知らせる基礎を築き
其の一環として、瀬戸の陶工を名古屋城
御深井丸北東(名城公園プール辺り)に窯を築き御深井庭に呼び寄せ

御深井焼

御深井釉(おふけゆう)

に従事させた!
(光友の説もあるが、義直有力である)

また義直に仕えていた民の渡来人
陳元贇(ちんげんぴん)が此れに関わり
異国の文化が混じり、後に格式の高い焼物として知れ渡る。



以上である!
難儀な言の葉が立ち並んだやもしれぬが
ちぃとは分かったか??




徳川義直は家康殿より
領国経営を始め天下人の質を学び



己が藩主となった後に行う政は
今に生きる文化が多数!



焼物、治水工事、新田開発



どれも至極当然となっておるが
実は徳川義直が基礎を作ったから今があるのじゃ!


また異国に目を向けておった
徳川義直らしく陳元贇を抱えるあたり
信長様に似た所がある。




皆に伝えたこの歴史は
検定に出るとは限らぬ。。。
(初級、中級は決まっておる故に安堵せぃ)


上級に範囲など存在しない。(冗談ではない!)
我も知らぬ事が数多あろう。


大切なのは歴史の流れを知る事。
語句だけ覚えれば良い!(坊やだからさ)
と考える者がおるが、違うぞ。
検定は
「何故、斯様な事をしたのか?」
上記のような問答もある。

  

共に学び勝利を掴もう!!!





勝利の栄光を、其方に!
キラッ




以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
名古屋城検定戦伝大使

前田慶次郎利益