前田又左衛門利家也。





越中国は富山県美術館へ出陣致した本日。

集いし皆よ。大儀ぞ。

実に〔げに〕見応えが御座る徳川殿の宝の数々を、本人 徳川家康殿の案内と解説を交え鑑賞致した。

中でも、晩年の徳川殿の肖像画は観る者に訴え掛ける力を感じた。

本物は心に響くものよ。

是非に皆も観るが良いぞ。


我が愚息、利長が治めし越中国〔富山県〕成れど、御屋形様〔信長様〕御存命の時代は我が朋輩、佐々内蔵助成政が治めし地。


内蔵助〔くらのすけ〕とは御屋形様の下、切磋琢磨致して出世を競うた仲。

忘れもせぬ。

御屋形様の御不興を買い、出仕停止〔解雇〕と成りし頃。

諸国流浪の身で在る儂を内蔵助は快く出迎え、内蔵助の比良城にて居候の日々を過ごした。

戦場では、敵将の首を譲り合うた事も今では懐かしきかな。


御屋形様 亡き後、秀吉に支持致す立場を明確にせねばと儂は、頑として秀吉に下らぬ内蔵助の越中と我が加賀の国境に砦を築いた。

此れを機に末森城の戦いが起こり、我々は対立致す。

然し乍〔しかしながら〕、儂は内蔵助とだけは戦いたく無かった。

末森城へと援軍に駆け付けた時、風に靡く〔なびく〕佐々軍の旗を眺め乍、儂は束の間動く事が出来なんだ。

内蔵助も少なからず同じ想いを致したかと思えば、時代のせいと諦めるしか無かろうて。

我等は互いに憎み合うて戦った訳では無く、互いが信じる者への義理を立てる為に戦った。

何時〔いつ〕の時代も乱世とは、嫌なものじゃ。


後に、内蔵助は剃髪致し秀吉の元を訪れる。


此処で内蔵助を赦せば、天下は秀吉に靡く。


戦は命を奪うもの。奇麗事では片付けられぬ。

其れ故、進言致した儂の心が真っ直ぐなもので在ったのか。今も判らずにおる。


此の後、秀吉に下った内蔵助は肥後の平定を任されるも、国衆一揆を鎮圧出来なんだ責任を負い切腹致す。


此の頃の 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今破る也


成政の辞世の句。

最後の最後迄、意地を通そうと奮闘致した内蔵助は、全てを悟りて命を散らした。

内蔵助の歩みし道は、不器用とは決して申せぬ程に真っ直ぐな道で在った。


時代のせいで散らした命は数知れず。

皆の想いを我が背に負うて、絆を紡ぐが己が道。

民の為、家の為、天下の為の槍と成る。

戦無き世が来る〔きたる〕迄、龍の如き先陣と成り突き進むのみよ。

我こそは、前田又左衛門利家也。



四百年の時を世負いし我等が夏の大戦。


皆の参陣、待っておるぞ。




追記。

越中富山で川が氾濫致した際、農民を指揮致し石堤を築いた内蔵助は、自身も農民と共に泥にまみれて昼夜を通し働いた。

其れ以来、越中の民は内蔵助を心から慕い、今尚、此の石堤は〔佐々堤〕と呼ばれ、内蔵助を慕う心と共に残っておる。



名古屋おもてなし武将隊 一番槍
前田又左衛門利家