皆の衆勤め苦労である!
大ふへん者前田慶次じゃ!
神無月十七日。
皆々名古屋まつりの余韻に浸りながらのけふであったろう?
我もじゃ。普段中々出来ぬ事に取り組んでおったわ!
さぁ。来たる名古屋城検定に向けて
戦伝大使である前田慶次が皆々に指南致す日記帳に候。
此度の題目は
前田慶次の身内が名古屋城に関係有り!
はっははは。
先に申す前田利常の事ではないぞ!因みに、利常の下に我が子正虎は仕えた!
彼奴石垣積み上げたかのぅ??
本題は
もう少し玄人な話ぞ。
滝川という名を聞いた事あるか?
滝川とは儂が産まれた一族である。
前田家には養子入りしたじゃ。
元々儂は滝川宗兵衛と申す。
其の滝川の血が名古屋城に大きく関係しておる。
滝川又左衛門。
時は江戸時代も末期である。
何と名古屋城城代を務める。
むむっ!?
名古屋おもてなし武将隊として蘇り
儂も嘗て
儂が名古屋城城代前田慶次郎利益!!
名古屋城守を名乗った時も!!
などと申した時分が御座った。
わっはははは!
儂の血は流石じゃのー。
嘗ては能登国でも城代をやっておったが、城代が似合うのか!?
(然し、滝川又左衛門の血は辿ると滝川ではない。叔父一益公の家臣、木全に滝川の名を授けた。其処からの血筋である)
滝川又左衛門は名古屋城の委細な記録、図を残すよう指示を出しておる。
隅櫓、多聞櫓、高塀、土居、窓の数、狭間、武者返し等の数字を明確化させた!
此れに従ったのが「金城温古録」の著者の一人奥村得義(おくむら かつよし)である!
どうじゃ!?
儂前田慶次は名古屋城にやはり縁があるのじゃ!
金城温古録とは名古屋城について1793〜1862年に奥村得義がまとめ、養子である定が1836〜1918年かけて編集した10編64巻に及ぶ名古屋城百科事典の事である!
現世に出回る名古屋城についての書物は金城温古録を参考にして出版されておる!
「金城温古録」は現在三ヶ所に所蔵されておる。
其の三ヶ所の名を記せ。
以上
名古屋おもてなし武将隊
天下御免ノ傾奇者
前田慶次郎利益