前田又左衛門利家也。



名古屋城へ登城せし皆々、大儀である。

黄金週間に入り、名古屋城は盛況至極也。

我等が毎週土日祝日に披露致す演武〔パフォーマンス〕を目に致した者も多かろう。

舞、殺陣、我等が歴史の生きる語り部と成る寸劇。

此度は此の寸劇だけでは語れぬ歴史背景を紹介致し、寸劇の新たな楽しみ方の助けと成れば此幸い。

題して、


演武又語り注、此の大きさの文字は飛ばして結構。


本日、名古屋城で披露致した寸劇。



長篠の戦い ~徳川家康の巻~



今は昔。

長篠の戦いは、徳川家康殿の領国 三河国長篠城が武田勝頼に攻め込まれた事から始まる。


徳川殿の家臣 奥平貞昌殿が守りし長篠城は武田勝頼の軍勢一万五千に包囲され落城間近。

対する、奥平殿の兵は五百。

奥平殿は主君 徳川殿の援軍を待つしか勝つ術が無く、徳川殿の居る岡崎城へ使いの者を出す事に決める。

然し乍〔しかしながら〕、武田軍が包囲致す長篠城を脱するは至難の業。

此の無謀とも申せる任に名乗り出た者が居た。

其の名も、

鳥居強右衛門〔とりいすねえもん〕

因みに御坊大好き陣笠隊は章右衛門〔しょうえもん〕

足軽乍も泳ぎが得意な強右衛門は、闇夜に紛れ長篠城から外へと繋がる水路と川を泳ぎ見事長篠城を脱した。

此の勢いで、岡崎城に居る徳川殿へ援軍要請伝令の任を果たす。

此の刻〔とき〕、我等が織田軍と徳川軍で為る連合軍は出陣の仕度を整えておった。

此の朗報を伝えるべく、強右衛門は直ぐ様長篠城へと引き返す。

然し乍、無情にも武田軍に捕らわれてしまうのじゃ。

武田勝頼は捕らえた強右衛門へ、長篠城に向かい援軍は来ぬと叫ぶ様強要致した。

承諾致した強右衛門は長篠城へ向かい力の限り叫ぶのじゃ。


方々、援軍参りまするぞ。もう少しの辛抱ですぞ。


此れを聞いた武田勝頼は激昂致し、強右衛門を磔〔はりつけ〕に処した。

此れを目に致した長篠城の兵は強右衛門の死に様に奮起致し、援軍が到着致すまでの二日間。死闘の末、見事長篠城を守り抜いたのであった。



此の鳥居強右衛門の死に様に、徳川家康と云う男は何を思うのか。

長篠の戦い ~徳川家康の巻~

で明かされる。



儂は戦場で死ぬのが本望と思い、槍を振るいて数多の戦場を駆け抜けて参った。

然し乍、死ぬる程の覚悟は己の為では決して無く守る者の為だと、強右衛門の死で思い知った。

主等も己の為では無く、誰かの為に戦え。

其処に必ずや、仕合わせの糸口が有ろうて。



皆の衆、明日も名古屋城にて演武を披露致す。

演武来客千人。



皆々の登城、待っておるぞ。



名古屋おもてなし武将隊 織田家一番槍
前田又左衛門利家