あっという間に終わってしまった…。


しかし、充実感に溢れているのも間違いないなく感じる。


本日、安芸へと出陣した。
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安芸ひろしま夏の陣


我らが名古屋おもてなし武将隊

岐阜城盛り上げ隊

熊本城おもてなし武将隊

グレート家康公「葵」武将隊 本多忠勝



楽しいだけで無く、盛り上がるだけで無く安芸ひろしま武将隊の深き想いの詰まった催しであった。
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元就殿の武将隊に対する想いも誠に素晴らしく思う。
口数が多いほどではないが、あの者の心を読み取れば直ぐ分かる。

そして、そこに集まりし武将隊や武将の面々に関しても儂のようにべらべらと話すわけではないが、人の想いに惚れ、自分の信念の元に安芸の国に集まったのだと思う。
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さらなる高みへと向かう為には、垣根を越えて皆が横一線にて手を取り戦い合うことが必要である。


ただ、儂は負けないけどな……笑



最後に…此度の冊子に書いてあった事を載せる。

儂の言の葉では無く、安芸ひろしま武将隊の言の葉である…


現在私たちが暮らしている広島の街は、かつて毛利輝元公が築いた広島城の城下町と長きにわたり大いに栄えた街です。
明治時代、日清戦争の際には、広島城内に軍の最高機関だある大本営が置かれ、明治天皇が広島におうつりさになられ、わずか7ヶ月余りですが、広島は日本の首都でもありました。

ところが、今から70年前の8月6日午前8時15分、アメリカ軍によって落とされた一発の原子爆弾により、広島の街は壊滅状態に陥りました。
何万人という人の命が一瞬にして奪い去られました。
その後も多くの方々が亡くなられ、今でも多くの方々が原爆の後遺症で苦しめられています。

あれから70年…今、広島の街は見事に復興し、私たちは平和な社会に生かされていただいております。
しかしながら、この平和は、先人たちの努力、先人たちの犠牲の上に成り立っているものであります。
私たち広島が、私たちの日本がこれからも、そしていつまでも美しく平和であり続けるためにも、このことを深く心に留めて置いていただければ幸いです。


以上。



先人たちの努力、犠牲、そして今生きる者たちの夢と希望なのだと儂も思う。


此度は、心から良き旅であったと言えよう。


各方面から多くの援軍が来たことを嬉しく思う。


大儀である。



では、また明日…。



さらばじゃ。