蹴鞠の鍛錬もすべきかの?元気!です!!








本日は信長様、秀吉様、家康様、踊舞さんと共に名古屋城へ出陣。


先日の戦国音絵巻にて信長様が選ぶ戦国版蹴球十一人の中に驚き選出された鳥居強右衛門殿。

昨日の演武「長篠の戦い」の中でも武功をあげた足軽として登場した鳥居強右衛門殿。



歴史に名を残した足軽である鳥居強右衛門殿は足軽界では知らぬ者はおらん伝説の男で御座いまする。





一五七五年、長篠城は一万五千の兵を率いる武田軍に包囲され防衛を続けておりました。

しかし武田軍の放つ火矢により兵糧を焼失。
兵糧を失ったことにより早くも落城寸前に追い込まれたのです。

そこで岡崎城にいる家康様のもとへ援軍要請をすることに。そこで遣わされたのが伝説の足軽鳥居強右衛門殿!

大軍が包囲するなか長篠城を脱出し岡崎まで行くのは不可能に近い命懸けの所業。

強右衛門殿は自ら名乗り出たとのこと。

下水口から出、川を潜り脱出に成功した強右衛門殿は援軍要請することに成功。
織田徳川連合軍三万八千の兵が長篠城に援軍に参る手はずとなったのです。

これに喜んだ強右衛門殿は長篠城で籠城を続ける仲間たちに報せるべく、再び長篠城に戻るのです。

しかしその途中、武田軍に捕らわれてしまったので御座います。

そして援軍が参ることがばれてしまうのです。

一刻も早く城を落としたい武田軍は強右衛門殿に長篠城に向かって「援軍は来ぬ。諦めて城を開けろ」と叫べと命令したのです。
さすれば命を助けるばかりか武田家臣として取り立てると。

強右衛門殿は承諾し叫んだそうです。
「援軍は参りまする!それまでの辛抱ですぞ!!」

武田軍は長篠城に籠る兵の士気を下げれば城は落ちる。そう考え命令したにもかかわらず、強右衛門殿はその命に背き大声で叫んだのです!

強右衛門殿はその場で磔にされ殺されてしまいました。

しかし、強右衛門殿の忠義心と死に様を目の当たりにした長篠城の兵たちは強右衛門殿の死を無駄にしてはならぬと大いに士気を高め、見事援軍が参るまで城を守ったので御座います。




此れにより鳥居強右衛門殿の名が日の本に知られ、歴史に名を残した足軽となったので御座います。










名を残せなかった拙者。

再び甦った現世において、名を残す事が出来るのか?




本日、我らの出陣が記された案内板を片付けておったら客人に言われました。

「そんなことまでするんですね!」

此れも名を残す為の任の一つ。

何時どんな時に好機が舞い込んでくるかはわかりませぬ。

その好機が来たとき武功をあげれるかは、己が次第。







信長様ぁぁー!!

四年後には蹴球十一人に驚き選出として選ばれとう御座いまする!

拙者、励みまする!!!




元気!