本日は戦国武将、長宗我部盛親の命日じゃ。





 四国の覇者・長宗我部元親の四男だが、長兄の戦死の後、父の強烈な後押しにより後継者となる。
 「関ヶ原の戦い」では西軍として参戦を表明するも本戦に加われずに土佐へ戻り、その後領地は没収となり、家臣団は散り散りとなって仕舞う。
 その後の「大坂の役」では豊臣方へ味方をしたのも旧領への復帰を目論んだものであろう。



 若き頃には気性の荒い性格であったとも聞くが、辛酸を嘗めても長宗我部家の為に反撃の時を窺う気骨もまた持ち合わせていた、これもまた武士の形を見せて散った一人かと思う。









 今朝も続けるこの企画。



 最早辞世の句も言葉も紹介してはおらぬが、次にはしかと紹介出来る時を儂も窺っておるのだ。


加藤清正