又左衛門也。




皆の衆、息災であるか。






本日は御館様、慶次郎、亀吉、元気!と共に名古屋城へと出陣。



なれど、途中雨により演武は一度のみと相成った。
まことに口惜しい限り。






午前に行えた演武。
元より珍しき布陣であるが、更に珍しき事に演武では夢幻演武「敗軍の将」を秀吉に変わり儂が入り行った。




我等を知る者は驚いたのではなかろうかな。





なれど、我等が魅せられるものを常に上を目指し高めていく事は大事。

無論、中途半端ものは魅せるつもりは毛頭無い。



これよりも楽しみに致せ。




そして本日は北近江を支配致した大名・浅井長政を討伐すべく御館様が出陣された日とな。

その日に「敗軍の将」を出来た事は偶然とは申せ、何か感ずるものよのぅ。






普段より遠方より多くの客人が名古屋城へと足を運んでくれておる訳だが
かつてはこの尾張・三河の地から多くの事や物が全国へと広まり
紡がれていった。

正に日の本の中心はここ名古屋の地であったのだ。




全国にある方言は尾張弁が元となり

日の本で最初に翻訳された聖書は尾張なまりで書かれていたり


源平の戦
源家・足利家の勢力争い
豊臣が徳川を牽制する為
大坂の陣

全てに於いて要所はここ尾張の地であった。




歴史を語るならば、先ずは名古屋へと参れや。



詳しき事はその折にでも話してやろまい。










では、
此れにて御無礼。

前田 又左衛門 利家