又左衛門也。





皆の衆、息災であるか。






先ず言っておこう。

長くなる!!!



我等名古屋おもてなし武将隊が名古屋城にて行う「演武」



現世に戻って五年目。
常に「演武」を通して多くの者達に我等の生きたる時代を伝えて参った。

そして、それは我等を身近に思うて貰う為に必要不可欠なものとなった。








今、改めて我等が行う「演武」において考えると共に

我等が語る歴史を紐解いて参ろうかと思う。








先ずは我等武将隊の面々が全員揃い踏みした戦。


「長篠の戦い」


これは年齢差のある我等武将陣が唯一揃い踏みした戦。
戦国史を見渡してもこの戦のみであろう。








よって、この「長篠の戦い」の演目は合計七本あるのだ。


・織田信長の巻
・豊臣秀吉の巻
・徳川家康の巻
・前田利家の巻
・前田慶次の巻
・加藤清正の巻
・陣笠隊の巻

恐らく家臣の中でさえ、まだ観た事のないものもあるやもしれんな。





それぞれがそれぞれの視点で描く長篠の戦い。






簡単に長篠の戦いの概要を説明致そう。




長篠の戦いとは

一五七五年。我等織田家と甲斐の武田との間の起きた戦である。




武田家と申せば、言わずと知れた名将・武田信玄公を頭とし
「武田の赤備え」「武田の騎馬隊」は全国の諸大名の知るところであり
無論、御館様も衝突は避けておられた。



わざわざ気を遣い、こまめに文すら記す程。

なれど、その甲斐あって友好関係にあったのだ。




が、しかし。

御館様が足利義昭公を奉じて上洛し後に発令された「信長包囲網」により
武田家は御館様の同盟者であった徳川殿の領地である三河へと侵攻を開始。

これにより御館様と信玄公は手切れとなった。




ここに織田家 対 武田家の構図が出来上がる。







しかし。あの武田家を敵に回すとは無謀也。

恐らく足利義昭公や全国の諸大名、織田家臣でさえ
「織田が武田に勝つ」とは信じがたい事であった筈。

其程に武田家は強かった。





そこにある報が届く。

「武田信玄殿 逝去」


これにより戦局は大きく変わる。





武田家は新たに勝頼を当主に据えたが、次々と離反する者が続出。

中には敵対していた徳川へと流れる者も多かった。








そして場所は長篠。


家が安定しないままに戦えと踏み切った武田家の前に立ち塞がるのは

倍以上の戦力を率い、万全の体制を以て迎え撃たんとする織田・徳川連合軍。







そこには武将隊に名を連ねる我等の姿もあった。









結果は火を見るより明らか。
勝利をしたのは我等が織田・徳川連合軍。


これを境に足利義昭公は失脚。



信長様の天下布武は目前に迫る事となる。





と、ここまでは概要をば説明致した。










、、、ちぃと長くなったのぅ。







だが!続ける!!


ここからは「織田信長の巻」についてである。





この巻は主に三英傑が集まる布陣の際に行われる。

内容は

五月二十日の夜。
軍議において徳川家の重臣であった酒井忠次殿から発案のあった奇襲作戦を信長様は一蹴。

これに腹を立てた徳川殿が信長様の陣所を訪れるところから物語は始まる。



「えらい怖い顔をしておるのぅ」

この信長様の台詞から徳川殿の怒りの具合が読み取れ様。



徳川殿は云う。

「酒井の策こそが我等が勝機である」



信長様は特に意に介す事もない。

怒りの余りに進み出んとする徳川殿に対し



「徳川殿!!」

と秀吉の制止する声が響き渡る。





その場に広がる緊張感は静かに張り詰め、あと一歩間合いをつめれば斬られるといったところであろう。





そして徳川殿は口を開く

「我が軍は、、、撤退致す」



家臣達を無駄死にさせまいとする徳川殿の判断であった。







そこに一人の陣笠が走り込む。


「伝令!武田勝頼が本陣を信玄原を後ろまで移しましてござります!勝ち戦と見て総攻めに懸かる様にて」





そう。信長様はこの時を待っていたのだ。


酒井殿の策を一蹴したるは、軍議に武田方の間者が潜んでおる事を警戒しての事。





軍議の後に酒井殿を呼び戻し、兵を与えて奇襲作戦実行を命じておられた。









信長様という御方は良くも悪くも、人をお信じになられぬ御方。

それ故に味方さえも騙しておったと言う事である。





まぁ結果的にその作戦は大当たり。

武田方の名のある武将は次々に討ち取られ、窮地に追いやられる事となる。









さぁ。ここまでの話、皆は理解出来たかや?


明日よりも続く。

楽しみにせよ。









では、
此れにて御免。

前田 又左衛門 利家