(日記帳)ぺらっと

~四月十六日~
名古屋城が建つ前に、あの辺りにまあ一つのなごや城があったのは知っとるじゃろ。

そう、那古野城が。

字は違えど、なごやじょう。
信長様がたった二歳で城主となられ、わしが十八んときに信長様に仕え、初めて働いとったところ。


過ごした時間は短いが
思い出はようけ詰まっとる。


わしを語る上でなくてはにゃあ場所。


そして、まあひとつ、秀吉を語る上で欠かせん場所、
なごや城があったのを知っとるか。



そう、名護屋城じゃ。

わしが大陸進出を目指したときの二ほんの拠点となったところだがね!


全国から百二十もの大名らが名護屋に集結し、城下町も栄え、当時はそれはそれは大にぎわいじゃった。




じゃが、今や
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天守もどこへやら
天守台がその面影を残すのみ。

ほれでもよ
崩れながらも石垣が姿を残し、
そしてなんと言うても
本丸から眺める景色は変わることなく


四百年前の様子が思い出されるよう



うむ。



このままニほんが誇るなごや城の一つとして、この地に居させてやりてゃあもんじゃな。





四百年の時を越え、まさか名古屋城までも居城にするとは。


那古野生まれ名護屋経由名古屋行き

なごやに好き好かれ

秀吉