又左じゃ。



皆々、息災であるか。






夏休みも終わり、世は静けさを取り戻しておる。


勉学や仕事に精を出しておる事かと存ずる。





皆々が励む姿を見ては、「我等もやらねば」と改めて感じるものである。





本日が命日の 兼松正吉殿。


織田軍にあって儂より五つ若く、桶狭間の戦いにて初陣を果たし


殿の馬廻りを務め、秀吉の元では黄母衣衆

後に初代尾張藩主・徳川義直殿の与力となるこの男。



一五七八年

朝倉氏との「刀根坂の戦い」の折

敵の首級をとり殿の御前に参上した。



が、しかし
裸足で山中を駆け回ったために、足が血に染まっていたという。


そんな正吉殿をみた信長様はその働きを賞して、日ごろ携帯している足半を与えたと聞く。



ちなみに
足半とは草鞋のかかとがないものを指す。





兼松殿は殿の為、戦場を駆け巡り

必死に戦功を上げたのだ。




まこと天晴れ!




普段ひたむきな努力にて自らの責務を果たしたとて

報われぬと感じる者もおるやもしれぬ。





されど、必ず誰かは見てくれているのだ。






兼松殿は
名刀を与えられた訳でもなく

名馬を与えられた訳でもない。







しかし、その時に賜った足半は

家宝として現世に伝わっているというから驚きじゃ。





恐らく、もったいのぅて履けんかったんじゃろうな。

兼松殿の土に塗れた笑顔が浮かぶようじゃわぃ。





大事なのは、なにを与えられたかという事ではなく

その気持ちなのだ。





ささ、本日もまだまだ励もうぞ!!





では、
本日はこれにて御免。

前田 又左衛門尉 利家