又左じゃ。




皆々、息災であるか。






このくそ暑い中、皆々力強く生きておるか?















生きとらんとな?


たぁぁわぁぁけぇぇーーー!!!!!!!!!!





このくそ暑い中、さらにくそ暑い我ら武将隊!!!!!




そんなもんではこの夏を越えられぬぞ!


わしらは再び蘇る事許され、今がある。
一度は天へ召された身…




故に!命落とす事を恐れてはおらぬ。

なんなら!演武という戦場にて果てられたなら本望!!!!!






暑く!熱く!!

武士たるもの

命を惜しまず、名を惜しむものじゃ。







さて、「又左に聞け」




Q 戦国時代の名だたる大名の方々は、
『我が家は由緒正しき○○である』
と、自分は源氏だ平氏だ藤原だ等々と言われていた方が多かったような気がいたしますが、利家様の前田家はそのようなコトを主張なさったコトはあるのでしょうか?



A うむ。

そちは賢いな。

確かに家柄は当時は重要視されていた。名家と言われる者達は、生まれながらに位高きものであったしな。



現在大河ドラマにもなっている

平清盛様


この方こそ平氏一門を背負い武家を政の中心に押し上げて下さったお方。


次なるは鎌倉幕府を開かれた

源頼朝様



どちらも知らぬ方々はおるまい。




よく「源平藤橘」と言われるが、武家に関しては

源平によるところがでかい。




信長様は「平」を名乗られた。

徳川殿は「源」を名乗られた。




秀吉に関してはちぃーと特別。

「豊臣」を位と定めた訳じゃ。




…まぁこの辺は文字では伝えづらき事にて。






本題のわしであるが

わしはよく「菅原道真」公の末裔などと書かれるが、定かではない。



なんならばわし自身はそのような事を申した事は一度もない。

正確に前田家が「菅原朝臣」を名乗ったは

わしの息子・前田利常の時代じゃな。





元は信長様に習い、平利家を名乗っていた。

後に秀吉からは「豊臣」を授かり、豊臣利家と名乗った。



簡単に申せば、こだわりはなかったのじゃ。





だが、利常の時代は徳川の世。


その中において

「自分は平でも源でも豊臣でもない!」という反抗心から


菅原を名乗ったと言われる。




故に、現世に蘇り


「前田 又左衛門 菅原朝臣 利家」

と言われ驚いたものじゃ。






…まぁわしはこだわりはないでええんじゃがな。


どうせなら平がええなぁ~







さて、皆々!


暑さに負けず、わしは明日も名古屋城へ出陣!!!!!




時間ある者は登城せよ。




無論、水分や日除けを忘れず

無理なくな。






では、
本日はこれにて御免。

前田 又左衛門 菅原朝臣 利家



…長いわっ!