又左じゃ。





皆々、息災であるか。





昨日とはうって変わって晴れ!

気温も上がり、ジメジメとした特有な暑さを実感致すな。





名古屋の特徴でもあるこの湿気

木陰に入っても暑さを感じるのは名古屋くらいのものらしい。




それも湿気があるからなのだが


皆の心もジメジメとせぬ様にしてもらいたいものじゃ。





さて
本日六月十七日



一五六五年

松永久秀殿と三好三人衆が

室町幕府十三代将軍
足利義輝様を襲撃した日。





わしはよく名古屋城を案内する際に

「松永久秀」の名を挙げるのだが、皆は存じておるかな?






この男、信長様をもってして

「極悪人」と言わしめた男じゃ。





…別に信長様を「極悪人」と言いたい訳ではないでな!!





話を戻そう。



松永久秀

斎藤道三
北条早雲と共に

戦国三大梟雄と言われる。




信長様曰く、「三つの悪事を働いた」という。




一・主家の乗っ取り。

元は三好家に仕えし松永久秀であったが、ある頃より当主・長慶の親族が次々と謎の死をとげている。
この時、久秀殿が疑われたのは言うまでもない。

事実、後に三好家の実権を握り

畿内を掌握。事実上の主となった。



二・東大寺大仏殿に火をかけた。


これは俗に「東大寺大仏殿の戦い」と言われるが、仲違いした三好三人衆との戦にて三好が陣を敷いた東大寺に対して事もあろうか火をかけ、大仏を焼失させたのだ。



三・将軍暗殺


時の将軍・足利義輝様を奇襲により暗殺。完全に畿内を掌握するに至る。

それこそが本日決行されし、松永久秀の悪事であった訳だ。




だが、その後に義輝様の弟君であられる足利義昭様をお支えし上洛を果たされたのが
信長様であった。

すると松永久秀は即座に信長様に降伏。


足利義昭様は十五代将軍に就任される事となり、松永久秀は信長様の家臣となる。
そして、宴の席にて「この男は世の誰も真似できぬ、三大悪事を働いた」と称された。




最終的には信長様に背き、爆死と言う形で最期を遂げた。
どこまでも規格外。



だが、悪事ばかりを指摘される松永久秀ではあるが
領民からは慕われていたともされる。

善政を敷き、堤を造り水害をなくしたりとな。



しかも

ある時、空に無数の彗星が流れたのを見た家臣が

「殿に災いが起きるのでは…」

と気を揉んでいると

「たわけ。あれは道理に叶い流れているのだ。」



と申したという。





験担ぎが当たり前の世の中において、彗星が流れた事を「道理」であると語る頭脳。

これまた規格外。





松永久秀。

どこまでも謎多き男である。







では、
本日はこれにて御免。

前田 又左衛門 利家