又左じゃ。





皆々、息災であるか。






本日六月六日は

安城合戦

があった日である。




これは三河国の安祥城において

我が主君である織田氏と松平氏・今川氏が西三河南部の領有を巡り


計九年という長きに渡り行われた戦である。






この戦、まだまだわしが幼き頃に行われし戦であるが

何故わしが日記帳に記したか



わかるかや?







この安城合戦は後に行われる

桶狭間の戦い


への序章なのじゃ。





しかも、この戦いでは後にわしの室となる

まつの御父上が討死されている。






徳川方によりな…






桶狭間の折には、我が父上・利昌が徳川方の銃弾に当たりこの世を去っている。







わしもまつも、徳川方に父親を殺されているのだ。








この時より前田と徳川は因縁の相手になることはわかっていたのやもしれぬ。








更には、わしとまつが一緒になると決めた際には

まつから刀飾りであった笄を渡された事がある。




それこそ、亡き父上の形見であった。

共に同じ心の傷を持つ者同士。




わしは肌身離さずそれを持ち歩いていたが

ある時、その笄に悪戯をした者がいた。






…わしはそやつを切り捨てた。


そして、信長様に出仕停止を命じられ


時は桶狭間の戦いへと流れる。









思えば、その安城合戦こそ



わしとまつが出会うきっかけ。

前田・徳川の因縁のきっかけ。





この戦いにより


わしとまつは生涯を共に歩む事となったのじゃ。







まつの御父上、篠原主計殿。

本日は喪に服させていただきまする。







では、
本日はこれにて御免。

前田 又左衛門 利家