又左じゃ。
皆々、息災であるか?
今日は良き天候に恵まれ、演武すること叶ったわ。
最近は髪が伸びてきた故、烏帽子の中にて軽く結んでおるのだが
皆に見えるんじゃな。
口々に「髪の毛チョンってなってます」と言われ、ちーとばかり恥ずかしいわ…
まぁそんなことは置いといて!!
本日も参ったこの時間。
「又左に聞け」
Q もし…、もしも『前田利家』じゃなく他の武将でよみがえるなら誰になりたいですか~?(陣笠隊も含め)
なぜ、その人になりたいですか~?
A 前田 利長
わしの息子じゃな。
わしの跡継ぎとして、徳川政権下の中
前田の家を守り
外様最大の領地を維持した。
しかしながら、その中には母であり加賀の宝「まつ」を質として江戸に送り出す決断であったり
徳川が掲げた「加賀征伐」など。
一筋縄ではいかぬ出来事が山積した。
そんな中、「加賀・前田」の威信を守った我が息子の苦悩を分かりたい。
Q まだ演武になっていないもので
いずれやりたいと思っている戦や、
戦国の頃の思い出、エピソードなどありますか?
A ほうじゃな~
御館様がその昔行った
比叡山延暦寺の焼き討ち。
それに、匹敵するとさえ言われた
わしが行いし、天平寺焼き討ち。
これは本能寺の変直後ということがあり
当初はわし自身和議を基本とし、事を進めていたが
「我が家を守る」
その意識から、家臣と協議し
焼き討ちを決断した。
無論、辛い決断ではあったが
御館様が亡くなり、世はまた乱れると確信しておったし
生き残る為にはそれしか策はなかった。
その際のわしの心情を皆に伝えてみたい。…が、現実的には厳しい!
故に、秀吉亡き後の
徳川殿との火花散る様をみせてみたいわな。
Q 『佐々成政様との印象に残っている
エピソードはありますか?』
A あれはわしが越前府中に行き、大名となる際であった。
当初はわしと内蔵助(佐々成政)、不破光治の三人の禄高はバラバラであった。
中でも、内蔵助が一番禄高が高かった。
幼き頃からの友としては友人の出世は嬉しい。…が、やはり悔しかった。
内心「何故、わしが内蔵助よりも禄高が低いのだ…」と思っていた。
そんな折、内蔵助が御館様に物申したと知らせがきた。
急ぎ駆けつけるとそこには顔色を変えた御館様と必死に食らいつく内蔵助がいた。
内蔵助は言う。
「何故、又左よりわしの方が禄高が多いのでしょう!
又左の働きを知らぬ御館様ではありますまい!又左は織田軍になくてはならぬ男。あやつを軽んじてはなりませぬ!又左は武士の鑑にござる!
どうか。わしと又左、光治の禄高を同等に願いたい!」
とな。
わしは泣かずにはいられなかった。
己の出世を後回しにし、同等の評価を望んだ。
並大抵の者にはできぬ。
されど、わしら三人に与えられたは
十万石。
三人で割り、一人三万三千石。
一千石余る。
しかし、内蔵助の計らいにより
その一千石は亡きわしの弟
「佐脇 良之」
の弔いの為に使われた。
佐々 内蔵助 成政。
あやつの熱き真っ直ぐな心を象徴する話じゃ。
…語り過ぎたな。
最後じゃ!
Q 結構節目ごとが多い時期
又様は何か目標などありますか?
A 目標はある!
荒子を名古屋一の地にする為に尽力すること。
我が故郷を活気溢れる地にしたい!!
ふぅ~
本日もよう答えたわ~
さて、明日は全員演武か。
予報では雨とも聞くが、如何なるか。
楽しみである。
では、
本日はこれにて御免。
前田 又左衛門 利家
皆々、息災であるか?
今日は良き天候に恵まれ、演武すること叶ったわ。
最近は髪が伸びてきた故、烏帽子の中にて軽く結んでおるのだが
皆に見えるんじゃな。
口々に「髪の毛チョンってなってます」と言われ、ちーとばかり恥ずかしいわ…
まぁそんなことは置いといて!!
本日も参ったこの時間。
「又左に聞け」
Q もし…、もしも『前田利家』じゃなく他の武将でよみがえるなら誰になりたいですか~?(陣笠隊も含め)
なぜ、その人になりたいですか~?
A 前田 利長
わしの息子じゃな。
わしの跡継ぎとして、徳川政権下の中
前田の家を守り
外様最大の領地を維持した。
しかしながら、その中には母であり加賀の宝「まつ」を質として江戸に送り出す決断であったり
徳川が掲げた「加賀征伐」など。
一筋縄ではいかぬ出来事が山積した。
そんな中、「加賀・前田」の威信を守った我が息子の苦悩を分かりたい。
Q まだ演武になっていないもので
いずれやりたいと思っている戦や、
戦国の頃の思い出、エピソードなどありますか?
A ほうじゃな~
御館様がその昔行った
比叡山延暦寺の焼き討ち。
それに、匹敵するとさえ言われた
わしが行いし、天平寺焼き討ち。
これは本能寺の変直後ということがあり
当初はわし自身和議を基本とし、事を進めていたが
「我が家を守る」
その意識から、家臣と協議し
焼き討ちを決断した。
無論、辛い決断ではあったが
御館様が亡くなり、世はまた乱れると確信しておったし
生き残る為にはそれしか策はなかった。
その際のわしの心情を皆に伝えてみたい。…が、現実的には厳しい!
故に、秀吉亡き後の
徳川殿との火花散る様をみせてみたいわな。
Q 『佐々成政様との印象に残っている
エピソードはありますか?』
A あれはわしが越前府中に行き、大名となる際であった。
当初はわしと内蔵助(佐々成政)、不破光治の三人の禄高はバラバラであった。
中でも、内蔵助が一番禄高が高かった。
幼き頃からの友としては友人の出世は嬉しい。…が、やはり悔しかった。
内心「何故、わしが内蔵助よりも禄高が低いのだ…」と思っていた。
そんな折、内蔵助が御館様に物申したと知らせがきた。
急ぎ駆けつけるとそこには顔色を変えた御館様と必死に食らいつく内蔵助がいた。
内蔵助は言う。
「何故、又左よりわしの方が禄高が多いのでしょう!
又左の働きを知らぬ御館様ではありますまい!又左は織田軍になくてはならぬ男。あやつを軽んじてはなりませぬ!又左は武士の鑑にござる!
どうか。わしと又左、光治の禄高を同等に願いたい!」
とな。
わしは泣かずにはいられなかった。
己の出世を後回しにし、同等の評価を望んだ。
並大抵の者にはできぬ。
されど、わしら三人に与えられたは
十万石。
三人で割り、一人三万三千石。
一千石余る。
しかし、内蔵助の計らいにより
その一千石は亡きわしの弟
「佐脇 良之」
の弔いの為に使われた。
佐々 内蔵助 成政。
あやつの熱き真っ直ぐな心を象徴する話じゃ。
…語り過ぎたな。
最後じゃ!
Q 結構節目ごとが多い時期
又様は何か目標などありますか?
A 目標はある!
荒子を名古屋一の地にする為に尽力すること。
我が故郷を活気溢れる地にしたい!!
ふぅ~
本日もよう答えたわ~
さて、明日は全員演武か。
予報では雨とも聞くが、如何なるか。
楽しみである。
では、
本日はこれにて御免。
前田 又左衛門 利家