サルだぎゃ








此度は秀吉ジャパンの紹介、中盤編に突入だがね








現代サッカーにおいて、中盤に課せられる役割は非常に多い。そのため、種類も多岐にわたる








守備陣と同様、中央に陣取るもんと、両翼に陣取るもんがわかれ、さらに、中央は後衛気味に配置するもんと、前衛気味に配置するもん、また、両方の役割を担うもんとわかれる








陣形によっても、どの役割を何人配置するかは変わってきやあす








秀吉ジャパンの素材は、中央を得意とするもんが多いもんで、そやつらを有効に使える陣形を組まにゃあなっ








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竹中半兵衛(1544)…美濃は大野に生まれし、天才軍師だがね。わしが三顧の礼で迎え入れたんじゃ。天才と言われる所以はその戦術にあり、様々な城攻めでその才能を発揮しやあした。また、人間としても尊敬すべき性格の持ち主で、皆に慕われとったもんじゃ。ポジションとしては、レジスタと呼ばれる、中盤のそこで指揮する役割を見事、こなしてくれるはずじゃ!








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黒田勘兵衛(1546)…勘兵衛に劣らぬ、天才だぎゃ。わしが中国毛利攻めをした際に拠点とした姫路城を提供してくれたんだがね。築城の名手としてもしられとる。遺訓が「人に媚びず、富貴を望まず」。うむ、ええことゆうのぅ。キリシタンで、「ドン・シメオン」とゆう名があるそうじゃ。ポジションは、半兵衛ににとるが、ボランチとして、ダイナミックに攻撃参加もしてくれることであろう








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小西行長(?)…生まれ年は一説で1555年と言われとる。堺の商人からわしの家来になった。舟奉行として水軍を率いとったのぅ。清正とどえりゃあ仲が悪かったんじゃわ。こやつもキリシタンで、「アウグスティヌス」とゆう名をもらっとる。つまり、なにわのあきんど、だがね!秀吉ジャパンには珍しいサイドアタッカーとして、戦場を切り裂いてくれることであろう








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宇喜多秀家(1572)…五大老の最年少だぎゃ。備前岡山の生まれで、わしがどえりゃあ可愛がり、猶子にしたんじゃ。そして、こちらもわしが可愛がっとった養女、豪姫(利家の娘)を正室にしとった。関ヶ原の戦いののち、八丈島に配流され、1655年まで生き続けた。トップ下と呼ばれるポジションで、攻撃陣を操りながら、自らも飛び出していくに違いなにゃあ








次回は、中盤の第2弾だでねー








太閤のワ「坩堝と化した豊家」