サルだぎゃ







秀吉ジャパン、サイドバック編の時間だがね







サイドバックはサイドを駆け上がってくる敵に対応するすばやさと、攻撃時に果敢に攻め上がる迫力を兼ね備えとらなかん。そして、敵陣、本陣を行き来する持久力も必要とされるのぅ







つまり、文武両方が優れたもんが担うべきなんじゃ







我が軍のサイドバックも屈強な男が揃っとる







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前野将右衛門(1528生まれ)…小六親ビンと義兄弟の契りを交わしたといわれる、兄やん。土木業に通じ、墨俣一夜城の築城や、ほかの戦でも、小六親ビンや、両兵衛の立てた数々の作戦を実行してきた男なんだで。いわば、工作員じゃな。作戦ちゅうのは実行するもんがおらんとただの絵空事だでね、難しい作戦ほど兄やんにやらせたもんじゃ。それほど信頼の厚い働きをするんだで







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豊臣秀長(1540生まれ)…わが弟、小一郎は、内政、軍事ともにわしの手となり足となってくれやあした参謀じゃ。最終的に、大和・紀伊・和泉に河内の一部で、約110万石の大大名に至る。わしに次ぐ出世頭だで。藤堂高虎をはじめ、築城、造園に長じた人物を多数登用しとった。こやつやねね殿、かかあがわしを諫めてくれるもんで、天下が取れたと言っても過言ではにゃあて







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山内一豊(1546生まれ)…今の一宮は黒田に生まれる。古くからわしに仕え、賤ヶ岳の戦いの前哨戦では一番槍、小牧・長久手の戦いでは家康を包囲するための前線基地の構築に当たっとる。大井川の堤防の建設や伏見城の普請もやった。わしの死後は徳川殿に仕えるなど、機を読む力は秀でたもんがある。これは、サイドバックにかかせん能力だがね







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加藤清正(1562生まれ)…果たして、こやつに絵が必要かはさておき(写真でええがね)、いわずとしれた虎之助。賤ヶ岳の武功が有名じゃが、知勇兼備の武将だで、築城のでも有名じゃ。まぁ、こやつに説明は不要じゃて。ハンパない攻撃力は一目あえばわかる。ボケても絶対に自分ウケしない心の強さも備えておる。ただもんではないな。サイドバック若手の新星じゃ










守備陣は、比較的、初期から仕えてくれたもんが多く見られたな。やはり、安心感とゆうのは大事なんじゃろうて







太閤のワ「亭主の好きな赤烏帽子」