サルだぎゃ







満を持しての秀吉ジャパン、ディフェンダー編だがね。なぜにこう、仕込みに時間がかかったかとゆうと、皆がわかりやすいように、わし400年前の記憶をもとに、各選手の似顔絵を描いとったんだで







ゴールキーパー編も追加したるで、ぜひみてちょうよ♪







さて、ディフェンダーにも大まかに2種類あってな。センターバックとサイドバックなんじゃが。まぁ、その名の通り、センターバックは真ん中で、サイドバックは両端を守ることになるんだぎゃ







本日はセンターバックに的を絞って紹介していこうみゃあ







真ん中で守るとゆうことは、ゴールキーパーの前の壁にならねばならん。もっとも守備力が求められるポジションだがね。だもんで、正しい判断力が問われ、歳をとっても老獪な経験でこなすもんも多い。今回は経験豊富な4人が選ばれやした







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蜂須賀小六(1526生まれ)…わしの初代軍師とも言える親分。もともと川並衆を率いて木曽川の水運業をしとった。若かりしわしと矢作橋で会った逸話が有名じゃ。槍働きよりも、民政・調略を得意とし、わしが所領として阿波を与えたとき、側近として仕えることを望んでこれを辞退し、嫡男に譲った。まさに忠臣(中心)にふさわしい。また、普通なら両兵衛よりも上なのに、文句も言わず二人の指示を実行する人間性の優れた男じゃ







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小早川隆景(1533生まれ)…五大老の一人。毛利元就の息子で、毛利両川の1人として有名。また、わしの養子、秀俊、のちの小早川秀秋の義父としても有名じゃな。わしが毛利攻めをした際、安国寺恵瓊を通じて秀吉と和睦交渉を秘密裏に行う判断をした。その後、わしの傘下に入り、縦横無尽に活躍しやあす。わしはその功績を讃え、羽柴の名を与えたほどじゃ。他の武将からの信頼、尊敬の厚い武将でござる。黒田勘兵衛と仲がええらしい







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上杉景勝(1555生まれ)…隆景のあと、五大老に任命された男だで。本能寺の変のあと、早々とわしと通じ、その後の戦で大いに活躍した。だもんで、豊臣性や羽柴を名乗ることを認めたんだで。越後から会津へ土地を移して、東北諸大名の監視と牽制を行ったんじゃ。部下には米沢城の直江兼続、白石城の甘糟景継、福島城の本庄繁長などを配し、抜群の指示力を持っとる。兼続は前田慶次と親友らしいのぅ







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長束正家(?)…五奉行の一人で、大蔵大輔、つまり財政担当じゃ。生まれ年はわからぬが、1562年じゃないか、といわれとる。はじめは丹羽長秀に仕えておったが、丹羽氏が財政上不正があったとして、大減封処分を受けると、帳簿を証拠として提出し、抵抗した。その高い算術能力を買ってわしに仕えたんじゃ。太閤検地を実施したのもこやつじゃな。計算高さはディフェンダーとして大切だでね。そして、ながつかではなく、なつか、と読む










どうじゃ。皆、賢い感じがするじゃろう。それに、人間性が高く、皆から尊敬されるもんばかりじゃ。こやつらに最終ラインを任せれば、安心じゃの。小六殿はゴールキーパーでもええな~







次回は、サイドバック編だで







太閤のワ「兄弟は両の手」