又左じゃ。





皆、本日も勤めお疲れさんじゃな。

忙しい者多いとは存ずるが
時には息抜きも必要ぞ。




空でも見上げ、なにも考えず雲を眺めるのもよかろう。






そんなわしは空を眺めておった










さて、では参ろう!

「又左に聞け」





Q 信長様が好きだというのに、何故食事に誘わないのか



A うむ…。あの方は皆が思っておる以上にとーーーーーーーーーっても忙しいのじゃ!
わしも共に食事はしたい!!だが、何分忙しいもんでな~
機会があれば誘おう





Q 武将隊の方に手紙は出せますか?またどこで渡せばよいのですか?



A ずばり……城!!
色んな場所に遠征も致すが、遠征先では皆と接する機会がない場合もある故、名古屋城にて手渡しして頂くのが一番よかろう。

さすればわし自身は御主らの顔も覚えられるでありがたいわ!





Q 利家様は人をよく覚えていますが、覚えるコツなどあるんですか?



A う~~~ん…
コツというものはないのぅ

やはり相手の目を見て会話し、常に心を開くことじゃろうな

すると次会った時に

「こないだ会った」と自ずと感じられる。


ただ!わしとて忘れることもあれば、長らく会っておらぬと初めて来たとも思うてしまう。

覚えられる程わしに会いに来てくれるのが一番ありがたい!!


まぁ相手を覚えようとせず、心から向き合うことが大切じゃな!




Q お亡くなりになる前、徳川殿が病床に見舞に来た際
布団の下に太刀を隠していたと聞きましたが、斬るつもりだったのですか?



A よい質問じゃな。




あれは太閤殿下がみまかられた後

次の天下は前田か徳川か


と巷で話題になった。




しかし、当のわしは病であった故

家臣は皆心配しておった。


「殿がお元気であればなんの心配も致しませぬが…」

といい一抹の不安を感じていた。


だで、わしは徳川家と和議を結ぶことを決意した。





奥村家福が徳川家を訪問し、和議の段取りをしたのだが

ここで一つ、問題が生じた。



先に前田家が御挨拶。
後に徳川家が前田家を訪問し御挨拶をした後、仲良く致す。と奥村は独断で申したそうじゃ。



これ即ち
徳川殿が前田家を訪問した際に刺客を放ち、徳川殿を斬るということだと徳川方は感じたであろう。





…わしは汚い手段が嫌いじゃ。故に奥村を叱責した。


「何故そのような卑怯な真似を!」とな。



だが、奥村を初めとする家臣達は皆



「殿を天下人に」
「殿が天下に号令せぬままにこの世を去ることこそ、大きな損失」

と申し、中には徳川殿を斬らぬというなら腹を切ると申す者もいた。




涙が出るわ。

家臣達は、わしの為に死ぬというのだ。




故に一度は徳川殿を斬ると決断した。




たとえわしが倒れようとも後のことは息子・利長に頼むつもりでいた











だが、実際には徳川殿を斬らなかった。
正確には斬れなかった。





なぜなのか







わしにもわからぬ









利長には天下人の器量はないと感じたのか


その見舞の席にまつが同席していたからか



徳川殿を呼び出し、斬ったとあっては男の名が廃ると思うたからか








実はわしはよく徳川殿に申した。

「貴殿とは一度大戦がしてみたい」
とな。



わしは元来戦人であった故、戦場にて果てるのが夢でござった。

それが、病と称し
床にて徳川殿を斬ったとあれば
後世までの笑い者よ。





その時
わしは徳川殿に頭を下げた

「前田家のことを頼む」



とな。


その後、徳川幕府の元
前田家が残りつづけたことを思えば


わしがした選択はあながち間違いではなかったのであろう。




家臣達の思いは無下にしてしもうたが

たとえ今、同様の選択を迫られたとて決断に変わりはない。





男とは卑怯未練な戦はせぬものだ。



とわしは思う。







だいぶと話が長くなってしもうた…


すまんな!毎回毎回話が長くて…



無理に全て読まずともよいからな







まだ仕事・学校の者も
家路に着いた者も

ほんにお疲れさまじゃ。


ゆっくり休まれよ!










ってわしの話が長くて休まらぬか?



でも休め!!!





では、
本日はこれにて御免。

前田 又左衛門 利家