又左じゃ。




本日は徳川殿と亀吉と客人をもてなした。



徳川殿とは今はほんに仲がよくなった!



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昔はあまり良好な関係性とは言えず、常にお互いが探りあいながら接して会話をしておったでな。




わしは根っからの戦人な故、五大老の地位で政に参加するのは向かんかった。

が、徳川殿には政の才能があった。



わし自身は徳川殿より人望があったと自負しておるが、人としての器量は徳川殿には及ばんかった。







また野戦において徳川殿にかなう者など周りにはおらんかった。




御館様や秀吉にも勝った程で、その力は並大抵ではない。




御館様は徳川殿を弟と呼び。

秀吉ともよく徳川殿の「人としてのでかさ」についてよく話したりもした。








わしは常々徳川殿と戦がしてみたかった。

それは徳川殿自身にも
「わしは貴殿と一度大戦をしてみたいと思うておる」
と話したことがあるくらい。



その一言に本多忠勝殿が憤慨したのを覚えておるわぃ!





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…………………




実は
まつの父上は三河・安祥にて、当時今川方であった徳川軍に討たれ。



わしの父上も徳川軍の弓矢に倒れた。





弟・佐脇良之も徳川軍に従軍し、三方ヶ原に参戦して討死した。







前田家と徳川家は因縁の間柄であった。






わしらは味方なようで、

敵やったのやもしれん。







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………………






もちろん今は仲良しじゃ!案ずるなよ?




わしらは御館様の天下布武に向け、一丸となっておる。






これはあくまで昔話!


わしらの仲は良好じゃ!!





本日のわしらを見たら仲の良さは一目瞭然じゃろ?







では、
本日はこれにて御免。



前田 又左衛門 利家