こんにちはコーヒー

ご訪問ありがとうございます!らいらです。


昨夜最終回だった、東◯タワー、

やっぱり、原作とは、かけ離れたラストだったようでプンプン

毎回、録画はしていたのですが、ほら、一晩明けると、おおよそのあらすじが、ネットに出るじゃないですか。

で、それを見て、見る気を失って。

六話から、視聴を止めた私😅

なんか、だんだん、わかりやすくなっていったみたいで。

愛人とその娘と恋人が、一同に会するなんてコメディ、原作にはありませんからムキー

今回、詩史さんの旦那さんを、器の小さい卑屈な男として描いたのが、なんだかなぁ、って感じ。

前にも書きましたが、原作では、詩史が、自分から離れていくことを、露ほども疑っていない、恋多き妻の特性も含めて愛している、器のでっかい男、として描かれていて。

透が、旦那さんと別れて、と、せまるものの、セレクトショップの店長という、今の恵まれた現状を変える気のない、詩史に、跳ね返されたりして。

喜美子さんも独身だったし、35歳の女性ならではの飢えが、吐露される場面があったり。

なんでしょう。

タイトルと登場人物を借りて、原作とは違うラストに改変するのが、最近の流行りなの?

昨年、ドラマ化された、「あなたが◯てくれなくても」も、原作は、連載中で、ドラマ版とは違うラストに向かっているそうで。

不倫ドラマを作りながら、不倫はあかん、許すまじ、という方向に、無理やり変えられたような感じえー

原作をリスペクトしているのだったら、せめて、医師として働く透の元を、帰国した詩史が訪ねていく、くらいのサ一ビスショット?が、あっても、良かったんじゃない、という気がしました。

不倫は無いに越したことはないけれど、なんせ、帯に、

『恋はするものじゃなく、落ちるものだ』と、書かれている作品であり、江國香織さんの作品には、意思ではどうすることもできない、不可抗力の状況が、多々書かれてあって。

正義感を振りかざしたいなら、別のところで、やってくれ〜って感じです🤔


さて。

毎週、日曜日を心待ちにしている私。

蔵之介さんの、あっさりとしたプロポーズに、きゅんきゅんしました😆

年齢的には、『源氏物語』の、女三の宮と源氏の結婚、もしくは、夕顔の娘である、玉鬘に懸想する源氏、の、元になったのかなぁ、とか、想像してしまうのですが、後に、二人が結婚することを知った、道長の動揺ぶりが、楽しみです😅

明子様の六条の御息所化も、楽しみ。

最近、「何で源氏物語が好きなんですか?」と、聞かれることがあったのですが。

まるで、通奏低音のように、諸行無常、とか、因果応報、とかが、書かれているからかな、と、思って。

非の打ち所のない(位の高さを傘にやりたい放題だった)若かりし頃の源氏が、一時は栄華を極めつつも、加齢と共にままならない事が出て来て、終いには、関わりがあった女性たちに、出家という形で、捨てられていく、人の世の儚さ、というか。

今度、京都に行くときは、宇治の源氏ミュージアムにも、行きたいなぁ😀



お付き合いいただきありがとうございました🐒

らいら