ご訪問ありがとうございます!らいらです。
郡山市立美術館で開催されている、
印象派の展覧会に、行って来ました
土日は混むだろうなぁ、と、平日を選んで出かけたのですが、午前10時には、駐車場の大半が埋まっている、中々の盛況ぶり。
しかし、都内のように、人垣の向こうの絵を見る、ということはなく。
目玉の、モネの『睡蓮』と、間に人を挟むことなく、数分間、ご対面〜
田舎ならではの贅沢さ、ですよね。
モネは、もう一枚、『税関人の家、荒い海』が、来ていたのですが、パステル調の色彩の連なりが、ドビュッシーのピアノ曲の、和音の重なりに通じるような、、なんて、素人が、知ったようなことを言って、スミマセン
黒田清輝の『枯葉』も、美しかったです。
美術館自体が、緑に囲まれた、気持ちの良い場所なので、リフレッシュ出来ました!
さて。
昨日、透析で、一気読みしてしまったのが、吉本ばななさんのエッセイ、
「幸せへのセンサー」幻冬舎刊。
本の中に、繰り返し出てくるのが、
自分の幸せと、社会的な幸せを、分けて考えましょう、ということで。
なるほど~と、納得🤔
父親に言われてショックだったのが、
「普通の子が欲しかった」というもの。良い成績なんて取らなくていいから、とにかく学校に行って、周りの子たちと同じように育ってくれ、、、なのですが、こちらとしても、
「普通の親が欲しかった」なのですよね。
精神的安定と、経済的安定。自分よりも家庭第一な子煩悩な父親であったならば、こじれた人生を歩まずに済んだのに、、などと、思っていたのですが。
そもそも、普通って何?
サザエさん一家?
と、先日、カウンセラーさんに訊ねたところ、
「サザエさんは普通じゃありませんよ」
とのこと😅
同世代の人たちの身長、体重、成績や家族構成などの、統計上の平均値が、
「普通」と呼ばれるもの?であって、+社会的に「そうあるべき」とされる見本というか、期待値を、指しているのではないか、、、🤔
ちなみに、父の理想の娘像が、芦田愛菜さんです😅
一体、どんな突然変異が起きれば、
素直で頭が良くて可愛らしい、おまけに稼ぐ、優等生が、自分たちのDNAの元に、現れるんだ?という話ですが、逆に、私の理想を満たしている父親が、何処にいる、、いたわ。知人や親類縁者に🥲
自分たちを差し置いて、「普通」という言葉に翻弄されていた点で、私と父は、似たもの同士だったのか😟
ちなみに。
先日の自助グループで、
「どうやら、私は、既婚者に惹かれやすいところがあり、エレクトラ・コンプレックスかな、と、思っていたのですが、パ一トナ一の娘になって、人生をやり直したい、という願望があるみたいです」と、言ったところ、
「そういう女性は、たくさんいますよ。◯◯さんが、そういう男性と付き合った場合、赤ちゃん返りして、願望が満たされたら、落ち着きますよ」
とのこと。
赤ちゃん返り、、
思い当たる節があり過ぎて、怖いよ😱
お付き合いいただきありがとうございました🐦
「普通」に惑わされず、自分の「好き」を追求することにしよう、、
らいら