前回のブログ「人生最後のバイク」で、中学生の頃、新聞配達をやっていて、販売店のスーパーカブを借りて、空き地で乗り回していたこと、それがきっかけでバイクが好きになったことなどを書きました。
そのあと、いろんなことを、しみじみと思い出してしまいました。同級生のHのことまで…。
Hとは中2で初めて同じクラスになり、一番仲良くなりました。Hは母子家庭で、当時、母親と二人、見るからにおんぼろなアパートに住んでいました。家計を助けるために、Hは朝夕新聞配達をやっていたんです。そんなHに誘われて、私と、もう一人の同級生Tが、夕刊の配達をやるようになりました。Hの仕事と比べれば、私とTの仕事なんて遊びみたいなものでした。週2日、1日2時間、配る部数60ぐらい。給料は月に3300円いただいたのを、はっきり覚えています。時給にすると150円ぐらいです。すべて自分のお小遣いです。家計を助けていたHとは、まるで違います。
Hから、配達する家も、集金のやり方も、ぜんぶ教わりました。それにスーパーカブの乗り方までも…。販売所のすぐ近くに、広い空き地があったんです。免許はないですから、そこまで押していき、毎日のように、交替で乗り回し遊んでいました。ちょっぴり大人になった気分で、最高に楽しかった思い出です。
懐かしくなり、押し入れの奥を探すと、こんなものが出てきました。「新聞少年の日」に、埼玉県知事からいただいた感謝状です。昭和45年、私はまだ14歳で、53年も前の事でした。今は、「新聞少年の日」なんてないですよね。学業の傍ら新聞配達を担っていた少年たち、当時はたくさんいたんです。そんな少年たちを労う日が、「新聞少年の日」だったんです。でもね、この感謝状を見ると、いつも、私は赤面してしまうんです。
この感謝状にある、「学業の傍ら風雪に耐えニュースの伝達に…」という文面は、家計を助けるためにやっていた、Hそのままなのですが、私なんて、Hのついでにいただいたようなものなのです。私は家計なんて助けていませんし、給料はすべて自分のお小遣いでした。それに、スーパーカブに乗れるという下心で、新聞配達を続けていたようなものなのです。(笑)
今回、いろんなことを、思い出してしまいましたね。中2当時の、坊主頭で目がぱっちりしたHの顔が、鮮やかに蘇ってきました。今、同じこの空の下、Hは、どこでどうしているのだろうか…。私は「俺は今、お前に教わったスーパーカブを、また楽しんでいるぞ!」と、言いたいですね。
