明るく優しい笑顔で、私のバスに手を振ってくれる、80歳代の男性がいます。私は、その男性を勝手に、正ちゃんと呼んでいます。子供の頃、近所に、正ちゃんと呼ばれていたおじいちゃんと、感じがよく似ているからです。正ちゃんは、年齢の割には、足腰がしっかりしていて、きれいな白髪と、白いあご髭がとても印象的なおじいちゃんです。

 

初めて、正ちゃんと出会ったのは、5年位前だったでしょうか。正ちゃんは、バス通りにあるコインランドリーの前に突然、現れて、私たちのバスに何故だか、敬礼するようになりました。それも姿勢よく、ビシッとした敬礼でした。その行動の意味が分からず、乗務員の間では「おかしな老人」と、呼ばれるようになりました。軽い認知症はあったんでしょう。

 

私は、そんな正ちゃんを無視するわけにもいかずに、こっくりと頭を下げたり、手を挙げたりしていました。同じ敬礼を返すのには、抵抗がありました。(笑) そんなことを続けているうちに、ある日、私の顔を覚えてくれて、思いがけず、敬礼のほかに笑顔を返してくれるようになりました。その時、私は嬉しくって、正ちゃんの笑顔が、眩しいほどに輝いて見えました。

 

それ以来、何年かが過ぎ、正ちゃんも齢を重ね、正ちゃんは少し元気がなくなりました。コインランドリーの外壁を背に胡坐をかき、ボーっと行きかう人や、車を眺めているだけになりました。もう敬礼はしてくれません。でもね、私のことは覚えていてくれているんです。バスが通るたびに、運転手を確認し、私だとわかると、いつもの笑顔で手を振ってくれます。私も、それにこたえ、大きく手を振り返します。バスの中と外とで、直に話などしたことないのですが、なんだかお互いが繋がっているのです。

 

忙しい乗務で、疲れていたりする時、正ちゃんの存在は、私にとって一服の清涼剤になっています。

 

かつての正ちゃんの敬礼はね、こういう仕事だから「ビシッと、もっと気を引き締めて」と、言っていたんです。そして、あの笑顔は、こういう仕事だからこそ「笑顔を忘れるな」と、言ってくれているんです。いま、私は、そう思うようにしています。

 

正ちゃん、 いつまでも、コインランドリーの日当たりのいい、あのいつもの場所に座って、私たちを見守っていてくださいね。