コンクールの季節が始まった。以前からコンクールの是非が論争になっているみたいだが一般的に見て必要と叫ぶのは吹奏楽連盟に繋がる指導者達、不要若しくは懐疑派はプロの音楽家と言うように分けられる気がする。

 

数年前に今は退職された市立柏高校の顧問の方が開いた「指導者の為の講習会」を見たが驚くべき内容だった。所謂基礎練習なのだが10項目くらいあって一つ一つにその練習の目的が明確化している。

「これをやると必ず音が違ってきます」

「これを続けることが大切なんです・・・」

まともにやると2時間以上かかる、だから時間短縮を図る為

「1,2,3,4と数えるのではなく3,4で入る。これで年間〇〇時間が短縮できます」

みたいなハウツー話が続く。

まるでトヨタの改善システムみたいでルーチン化している。ここまでやるか!!!

 

縦横を揃え奇麗なハーモニーを響かす為にはどうするか

 

これをマスターすればよく揃った奇麗な音楽が出来上がりコンクールで金賞が取れる。吹奏楽連盟ご推薦の音楽である。

 

一方プロの方々はそれは技術に偏りすぎていて音楽ではないというのに近い。

視聴されるなら(効率よく時間を使うため)1.5倍速以上をお勧めします。

 

 

 

 

 

この中で市立柏に触れているが、多分私が見たものと同じようなものだろう。この高校については「その102 ブラック部活」で書いたことがある。

 

大雑把に言えば昔から感じていた「とても上手いけれど2回聴く気にはなれない」演奏というのがコンクールで勝てる音楽。プロの方々は「ミスしても心に響く音楽」を求めている。

 

この中間にいるのが「響けユーフォニアム」などで演奏を担当している洗足学園音楽大学

 

こうしてみると夫々の立ち位置により吹奏楽コンクールの見方が分かれている。音楽ましてや音楽教育に縁が無いので意見を述べることは出来ないが「上手に使いましょう」位で良いのでは?

 

京都橘は久しぶりに京都大会を突破して関西大会で銀賞を取ることが出来た、本当に素晴らしい。その要因として

1.7年かけてきた兼城改革が実り部員に浸透してきた

2.マーチング偏重から修正してきた

3.兼城先生の音楽性

4.「個人練」利用による個々のレベルアップ(その69)

等の総合力かと思う。特に「個人練」については全国大会へ出場すれば「府大会どまりの橘も全国へ」みたいな見出しで朝日新聞がPRしそうな気がする。

 

関西大会は銀賞を獲得、他校に比べてコンクールの練習にかける時間は少ないと思うがこの結果は素晴らしい。銅賞だと少し残念な気がするが銀賞ならば立派なもの、これならば涙する部員はいなかっただろう。

しかし台風の為に日程を変更したのは止むを得なかったとしても、どうして無観客にしたのだろうか?これでは本当に点数競技みたいになってしまう。演奏者もお客さんがいて「伝えたい」という気持ちが出るのではないか。コンクールの問題点として「聴衆がいない」との指摘がそのままであり、それを問題として捉えていない吹連の姿勢が見えている気もする。

 

コンクールから抜け出したのがダンプレ。外部からの評価を全く気にせずに自分たちの好きなことをやる。「その112 ダンスはお好き?」でダンプレの代表として札幌国際情報高校を取り上げたが「アレッ こんなんだったっけ?フォーメーションなど考えていたっけ?」と少し疑問を持っていた。その後これを見た

 

そう、これだ。元気一杯ひたすら自分が楽しむ、これが原点だったはずだ。札幌国際情報高校は京都橘に寄ってきた、少し迷っている、「自分を少し殺しても全体を優先する方が・・」 どんどん迷ったらいい、部活なんだから。吹連押しのマニュアルに従うよりは絶対に良い。

 

京都橘ではこれまでに何回も内部対立があったらしいがこの辺が原因かと思う。つまりマーチング重視は誰も異論はない、しかし現状のままでは闇の中。更なる高みを目指すにはもっと音楽(音質?)を高めるための座奏も重視するべきではないかという派閥(?)対立みたいなものではなかったか?

 

この意味で関西大会止まりは心地よい水準で、それ以上を求めると他とのバランスが崩れるような気がする。一流の演奏で十分、超一流は他に任せよう。橘にはもっと大事なことがある。

 

橘祭を終えればもうマーチングコンテストが始まる本当に忙しい。他の学校にはない体力作りが必要な分、本当に時間が足りないのは京都橘だ。

 

ファンにとっては待ちに待った収穫の秋


 

「吹奏楽指導者クリニック」を探したので付けておきます。上述した記述に間違いがあるかもしれませんが再度見る気にはなれませんのでそのままにしています。