橘祭とは所謂文化祭だと思うのだが9月初めのマーチングコンテストの微妙な時期に重なっている。

全体の演奏は通常とは異なり、法被姿に赤い襷をかけて白いミニスカートと珍しい姿。頭も白いリボンではなく勝手次第。まあお祭りだから

 

 

これとは別に水上ステージというのがあり、3年生だけで演奏する恒例の舞台がある。何故水上ステージと呼ばれるのかは分からないがなんとなく分かる気もする。周りの観客は恐らく同級生達であろう歓声や個々人の名前が連呼される。仲間内ということで普通の高校生に戻った姿が垣間見られる、しかし演奏に手を抜いてはいない。毎年趣向を凝らした楽しいステージになっている。

これらを通してみると年度毎に楽器構成がバラバラで一人しかいないパートがあるときもあり、伝統を受け継いでいくのも結構大変だったのではないかと思う。

 

 

この年はマーチングコンテスト3年連続出場、2回連続金賞という謂わばピークを迎えていた時なのだが、3出制度の為にマーコン出場権が無く大きな夢が絶たれて目標を失い、あのT顧問にさえ「夏季合宿でこんなにしかりつけたことは無い」とまで言わせた。そして31名の1年生のうち10人が抜けてしまった・・・・

 

伝説のドラマー三田結菜を筆頭に実力ぞろいで40人近い人数が見事な演奏を繰り広げる。その中の曲紹介で三田結菜が”seaside bound"を

「最近はあまり演奏していませんが・・・」

イヤイヤ上記の2016年の橘祭だけでなく、この後の水上ステージや本番でも何度も取り上げている。

この曲は”遊びたがり”の橘っ子にとって欠かせない、謂わば「隠れ定番」」だったのではないだろうか?

新生橘がこの曲を取り上げるか?どう振り付けるか?興味はあるが・・・

 

もう1曲AKB48の”会いたかった”だが、他の曲は由来の説明があるのにこの曲だけは無かった。ひょっとすると新曲だったのではないか?(翌年の定期演奏会で2年生が演奏していた)

勘ぐればこの年だけマーコンの準備に充てていた時間に余裕が出来たからでは?(想像だが・・)

 

 

この頃部員が少なく20人位が続いた。それでもSING×3にカラーガードは欠かせなく急遽選抜されたみたいだが乱れてしまった。演奏もイマイチか?

 

「笑こら」で大量に入部した期、60人とも言われている。ここでも4人のカラーガードにパーカス隊は2列、バンドメンバーの数も半端ではない。大半の予想を裏切り全国大会銀賞を取った、水上ステージも最高のものに仕上がっている。

少し停滞していた橘をここまで引き上げたのはDMだったろう。全国大会前夜の練習で涙ながらに指示を出していた姿は忘れられない。定期演奏会で最後に舞台を降りるときに仲間の3年生から声を掛けられるという前代未聞の出来事。信頼が厚かったのだろう。

その後には伝説の「阿南コンサート」を残している、史上最強の年代かもしれない。

この年はハワイ遠征のせいかアロハ風のTシャツ姿。途中でfireballを演奏するのだけれど少し振り付けが違う気がする。何より驚いたのは途中で”テキニャン テキニャン”みたいな声が入る。何処かで正確な言葉を見たことがあるけれど覚えられなかった、それが観客席に向けられるとしっかり反応している昨年の、クラスの中で教えていたのだろうか?

昨年の大手筋パレードでもトリステーザの”ラララーラ”の所の振り付けを並んで歩いていた制服姿の二人が同じように手を振っていた。どうもクラスの中で

「ねえ、あそこどうやってん?おせーて」

みたいな会話があるのだろう。多分クラスの中で吹部の人数が一番多いはずだから・・・

 

アンコールの”VACATION”は楽しい、これが部活だ、みんなで楽しんでいる。そして一番最後にパーカス隊に頭を下げた。この期はパーカスがいなくて2年生に応援を頼んだ、そこには最強のチッピとコマレを始めとするパーカス隊が制服姿でいた。

 

変革の嵐に揉まれた年なので注目していたが残念ながら何も読み取ることが出来なかった。

 

京都橘を見ていると毎年構成員が変わる中でよく伝統が守られているものだと感心する、と同時にそれは金太郎あめのようなものと勘違いしていたが、水上ステージをみてくると年度毎に様子が違う。

なのに毎年”橘サウンド”を聞かせてくれる。不思議の一言!!

 

最近の様子は全く分からないが同じように続いているのだろう。

今年は大量の新入生が入部したそう、2年後の橘祭ではステージからはみ出される部員がいるかもしれない。