ずっと気になっていたのが阪急少年音楽隊である。1988年に始まるマーコンの最初から出場し全国に君臨した。そのマーチングを率いたのが宮和弘氏でそれを見た橘の部員がコーチを依頼し黄金時代を迎えた、というストーリーから、今は分からない「マーチングの手本」とまで当時の理事長に言わしめた当時の橘マーチングはどの様なものだったのか?を想像するには阪急少年音楽隊しかない。

 

you tubeのお勧めに偶然出てきたのが始まり。少し見るうちにその量、更に古くからのものがあることにビックリした。これは阪急学園を作った阪急という会社の存在が大きい、女子は宝塚、男子は吹奏楽というポリシーで1企業が高校を作った。これは当時としては珍しくなかった、私の入った会社も新潟の片田舎ではあったが三和高校と言うのを作り若い社員の教育を行った。教育は大学出の社員が行い「課長が先生だった」と言う話も聞いた、課長としては無能だったが先生としては優秀だったそうな。

 

アマトップコンサートを宝塚劇場で行った様子や3000人の吹奏楽等阪急の存在が大きかった。今年で終了した3000問の吹奏楽も理由は色々取りざたされているが阪急が手を引いたというのもあるみたいだ。

 

阪急としてはこれらの活動を記録し宣伝に使っていた。1997年のマーチングコンテストのものだが、(多分)前日だと思うが西宮の商店街でパレードを行っている。この行きつ戻りつのスタイルは今も変わっていない(7分頃)この時のDMはphotonccさんによれば現早稲田摂陵顧問の川口尚氏で当時は阪急の社員だったそうだ。

 

開会式は野球の甲子園と同じようにプラカードを先頭に演奏しながら入場(23分頃)、この頃は県代表という事で出場校が多くまさしく甲子園スタイル(さすが朝日新聞)全体演奏があり、指揮は阪急少年音楽隊が行い(27分10秒)京都橘のオレンジも見える(27分57秒)、退場は阪急少年音楽隊のドラムに合わせて(31分)と言うように完全に主役であった。この年農大2高などと3出の表彰を受け金賞、橘も金賞だった。

 

 

 

 

 

 

マーチングの演技はドラムに合わせての入退場などこれぞ「カレッジスタイル」だけれど今から見ると少し古く一世代前の感は否めない。(33分)これで3年連続金賞とは・・・・・

表彰式までの繋ぎの演奏も行っている(41分)

 

京都橘はどうだったのか?

 

宮コーチはコンテを作らずに実際に将棋の駒のように部員を動かしてフォーメーションを考えたという。アイデアが出ずに1日中立っていただけのときもあったらしい。阪急少年音楽隊の人数は45人程度なのでひょっとしたら人数が多くて特別なフォーメーションが難しかったのか?とも考えたが当時の橘の人数もそれほど多くは無い。

とすればこの頃の阪急と大きくは違っていないだろう、3出後の特別演奏会みたいなものか。阪急スタイルとパーカッションだけが着けるペンギンみたいな直垂も真似したみたいだ。どうも想像だけが膨らんで凄い事をやっていたと思いこんでいただけみたいだ。

 

比較の為にM協系と思われる1993年のマーチング&バトントワリング大会を見てみると、その差は歴然としていてどうしてこんなにも違うのかが分からない。前顧問が横山コーチと「このままでは駄目になるのではないか」と話していたという言葉もこの辺にあったのかもしれない。

当時はパレード部門とフェスティバル部門に分かれてい事の影響があったのかも知れないが兎に角分からない。

 

 

 

宮コーチが急逝した後は両校共に苦しんだ。橘はダンス付きSINGで次のステージに移行した。一方阪急は男子校から女子高へと名前を変えながら模索し2003年頃にはチアリーディングの要素を入れてきた。これは今にも伝えられていている。

2010年には洗練された姿でよみがえっている。これは顧問の川口氏の努力による所 が大きく早稲田摂陵が阪急から離れた現在も阪急少年音楽隊の後継とみなされている所以だろう。

 

 

 

 

一方京都橘は新たな道を模索し宮コーチの弟子と言われる横山コーチを核として一時は島根県の高校と共に3姉妹と称されたが、今は少し距離を置き始めている。

 

伝統を受け継いでいる早稲田摂陵、旧橘の横山コーチが指導する出雲商業、松江商業、そしてオービルズの3チームと新生京都橘。宮コーチを元祖とするマーチング、本家は一体何処だろう?

 

京都橘吹奏楽部を知って以来「どうしてこのような部活が出来たのか?」を知りたくてその歴史を調べてきた(つもり)。漸く私の頭の中に「橘の歴史」がつながったような気がしている。殆ど闇の中の「黎明期」、マーチングで頂点に立ったが意外に山が低かった「第1期」、SINGで世界に羽ばたいた「第2期」、そして始まったばかりの「第3期」というような歴史が見えてきた。

 

但し「歴史」と言ってもその国により違うそうだ。

 

日本は歴史

韓国はファンタジー(数少ない事実から物語にする、韓ドラの歴史物はこの類らしい)

中国はプロパガンダ

と言われているようで私の「橘の歴史」は勿論ファンタジーである。妄想の世界だ。

 

最後に物語に出来なかった事実。

オレンジのユニフォームは(色の薄いほうが古いけれど部員からは好まれている)貸与されていると思っていたが、実際には自分専用のを作っていた部員もいたらしい。考えてみれば例の3姉妹が揃ってオレンジの衣装を着けた写真を見た記憶もあるので珍しくもないのかもしれない。

 

今頃は大切な青春の宝物になっていることだろう。

追記

photonncc氏が阪急の詳細な歴史を書いてくれた

阪急少年音楽隊,早稲田摂陵高等学校Wind Band 年次記録 | Brass Bands Topics in Japan centered on The Orange Devils (ameblo.jp)