14日に行われた女子駅伝に出場したドルーリー朱瑛里、田中希美等と同じ2区を走り注目されていた。昨年中学生区間の17人抜きで一躍脚光を浴びた。今年は一般の区間だったがそれでも8人抜き、但し後半は足が今少し伸びず去年の方が良かったように思う。緊張していたのか、ペース配分を間違えたか、本人も「今日は良くなかった」と述べていた。

 

ドルーリー朱瑛里については岡山陸連も日本陸連も大切に守っている、今回も選手個人への取材禁止として合同記者会見を用意した。そして質問は予め提出(どこかの総理大臣みたいだけれど)とした。これは良かったと思う、そうでなければフリーの馬鹿記者を名乗る連中が

「押しは誰ですか」とか「好きな人は?」とか馬鹿な質問の嵐になるのは見えている。

案の定実際に提出されたのは多くなかったそう。単に記事の材料と写真が欲しいだけ・・・・か。

 

恐らくドルーリーは記者会見も嫌だっただろう。日本を代表する選手の中に入るなんて恥ずかしい。まだ高校生になったばかり、多分走ることが大好きな普通の高校生だと思う。

 

この「普通」という当たり前に使っている言葉だが感覚的には統計での正規分布の山の所50%と捉えがちだが、そうではなく±1σつまり全体の68%が入る区間を普通とするべきだと思う。色んな人がいるのだから。±2σには95%の人が入る。100人の中で変わり者が5人さらに優れた方は半分だから2.5人・・これくらいならその辺に居そうだ。±3σになると99.7%、1000人の中で3人さらに半分にすると1.5人・・・この辺になると相当凄い人と言っても良いが天才にはまだまだ遠い。

 

ドルーリーに使う「普通」はマイナス1σの部分に入る「普通」だと思う。取材禁止のお陰で全く推測の域を出ないのだけれど。

 

全く逆の高校生たちがいる、京都橘。

今回の台湾遠征で数多くの動画を撮影されるが「普通」の振る舞いをし、カメラが向けられれば自然に手を振る、笑顔やポーズを当たり前にする。こんな高校生がいる?

ひょっとすると+1σを超えているのではないか?

100人の部員の中でカメラが嫌いな人は16人いるか?

 

こんな想像をする。

部長「今度インタビューあるんやけど誰かやりたい人いる?」

あちこちで「ハイ、ハイ、ハイ・・・・・」

部長「ほんなら、じゃんけんで決めといて」

 

2016年のファンとの交流禁止事件にしても

「そりゃあ嫌やいう子もいたけど、うちのお母ちゃんなどはDVD配って回っていたくらいやから、なんでか分からん。決まったことやし・・・」

と言っているので色んな受け止め方があったのだろう。

 

こんなことを考えていると所謂「橘らしさ」というのは伝統ということかと思えてきた。個人の資質だけではなく京都橘の伝統に染まることで普通から一歩右に踏み出してしまうのではないか。そう考えるとドルーリーも京都橘に入ればきっと変わるに違いない。DMでもやらせたら・・想像するだけで楽しい。

 

座奏を取れば残念ながら+1σの範囲から抜け出せていない

しかしマーチングパレードならば+3σをはるかに飛び越している。比べるところが無いのだから

 

天才!!!!

 

高校3年生になったドルーリーの堂々としたインタビュー姿を見てみたい。

 

後書き

同じ高校生でありながら対照的な二組の比較をしたかったのだが拙い文章である。最近「京都橘」といっても具体的なものがある訳ではなく、個人の集まりの年度の集合体が何十年も川の流れのように移り変わりながら変化しているのが実態だと思いいたり、集合体の解釈として統計を持ちだして見たのだけれど拙い。

 

単にドルーリーも橘もガンバレと言いたいだけなのだ。